台湾映画『大尾鱸鰻(David Loman))(2011年)

『大尾鱸鰻(David Loman))(2011年)


香港には、周星馳がいるが、台湾には、Chu ke-liang (豬哥亮)がいる。別名、台湾の喜劇の王様である。この喜劇の王様、台湾では、「秀場(ショー)天王」とか、「秀場(ショー)巨星」とか言ったら、他でもない彼のことを指すくらいの人物だそうです。

このコメディの王様が、台湾の違法の宝くじ(大家楽)と、香港のMark Sixから莫大な借金(NT$1億)を作ってしまったのは、1995年の事らしいですけど、それから、14年も隠れていたと言います。けれど、ビデオとか出回っており時には、テレビでも彼のショーが観られたそうで、忘れられてしまう事はなかったそうです。ボードビル役者、旅芸人みたいな容貌の人でして、トイレの蓋みたいなヘアースタイルは、<馬桶蓋>と呼ばれ、フォーマルなジャケット、蝶ネクタイ、バミューダショーツ、黒い靴に白い靴下と言うとんでもない格好で有名だそうです。名前も<豬哥>は、雄鶏を意味し、つまり「女たらし」、「好色漢」とか云った意味だそうで、その上三国志の<諸葛亮>を「かけて」いるそうです。言葉遊びなのでしょうけど、こういうのはなかなか面白さが分らない。が、安心してください。この映画『David Loman』は、ドタバタ喜劇で下ネタ満載なので、きわどく下品ですけど、皮肉有り愚かですから、笑えます。笑いすぎてお腹痛いとまではいかないですけど、かなり笑えました。第一作『十七歳的天空』で一躍有名になり、その後は香港で活躍していたハンサムなTony Yang(楊祐寧)と、中国大陸でも『小時代』で大ブレークした歌手/俳優のAmber Kuo(郭采潔)が、助演しているので、若者も視聴者対象に。どうせ、オジイちゃんのドタバタ喜劇だろ?!否、それを避けるように作られているのが、かわいらしくも感じます。そもそもHokloと

言われる台湾語(福佬,河洛、鶴佬 などと書く閩南語の地方語)が分ると、滅茶苦茶面白いらしいですけどね。国民の笑いのツボをちゃんと心得ている訳です。言葉遊びが面白い訳で、この映画タイトルもHokloで「地下組織のボス」、と言う意味になるらしい。

トニー・ヤン(TonyYang)は、オタク(宅男)役にしてはハンサム過ぎると言われたようですが、生き生きとして楽しそうです。笑うと歯だらけの印象。今年の11月に日本で公開予定の台湾映画『祝宴!シェフ』(原題『總舖師』2013年)にも、出ています。台湾ドラマが好きな人は、林美秀(リン・メイシュウ)、陳博正(Chen Bor-jeng)に、「知ってる!この人!」、と嬉しくなるはずですが、なんと言っても、今まで、どこでご活躍していらしたの、と言うくらい強面の男達が台湾のヤクザ役で出て来まして、脇役も凄いですよ。まずは康康(カンカン)、素珠(Su Chu)、私の好きなスタンリー(Stanley Huang,歌手/俳優)のお兄ちゃんで、歌手バンドLA.Boysの黄立成(Jeffery Huang)、変わった容姿のMa Nien-hsien (馬 念先) Ying Wei-min(應蔚民)など、映画『海角七號』での記憶が新しい人も数人います。

1980年代の設定ですけど、何故か、昭和の日本を彷彿させる感じです。又、台湾の建物や、街並の良さが溢れています。言葉の関係で、100 %楽しめないのはちょっと残念だけど、これ一本見れば、台湾が、今までより一層深い段階で分るように感じると思います。いくら天下の豬哥亮だって、2013年の孫の年齢のように若くなった大衆相手に冗談を言っても古いのは仕方ないとして、でも、やはり一世を風靡した台湾で彼の名を知らない人は居ない、とも言われる著名人の彼は、やはり、大衆王でしょう。一人二役を難なくこなして、かつ、彼の目は未だに子供のようです。欠点は、多分下ネタが多過ぎる、事じゃないかな、多分。それから、字幕。でも、字幕は外国映画には、付き物ですから、嫌だと言ってしまったら、素晴らしく素敵で面白い(interesting)秀作(?)を見逃します。勿論、下ネタが嫌いな人は観ないでください。そればっかりですから、私は、笑いました。下品でも良いじゃないですか、笑いは必要です。映画の秀作はどうしても、重い話題が多いですから、今日は、コメディを紹介したかったのです。

粗筋は「今のような世の中じゃなくて、義理と人情(?)が残る台湾に、田舎者の大尾(ダ・ウェイ)と云う、幼い女子を独りで養うカメラマンがいました。彼は、ひょっとしたことで裏社会のボスに成り、もはや10年が経ちましたが、娘は父親を軽蔑しているのです。命を狙われる身分となった大尾は、3日間だけ影武者を立てて隠れるように占い師に告げられる。そこで選ばれたのは、老賀と云われる、大尾に<みかじめ金>を払っていた男だった。ところが老賀は、あっさり殺されてしまう。父を殺された賀祥(トニー・ヤン)と、仇(かたき)を討つ為に立ち上がった大尾は、疎遠だった娘も味方に引き入れて立ち向かう」。

さえないジョーク、臭いジョークに惑わされちゃう感じです。




バンクーバー新報:2014年10月9日

中国映画『11 flowers』( 2011 年『我 11』)

もの悲しいくらい美しい映像です。元より美しい街なのかもしれませんが、決して豊かには見えないながらも牧歌的で、詩的でさえあります。編集エディターが著名なフランス女性だからでしょうか、ハッシュ(荒い)でロウ(生)なドキュメンタリー調の撮影からほど遠い緩やかなアンビアンス、テンポがあるように思います。日本題名にしますと、「僕が11歳の時」、とでも訳しましょうか。文化大革命時代の1975年(日本は、昭和50年)、毛沢東の死の一年前の貴州省の山奥の小さな街が舞台です。監督は米国の映画界では『Beijing Bicycle』(2001年、『十七歲的單車』)で有名な、Wang Xiao-shuai(王小帥)。監督の子供の頃の思い出及び経験を基に脚本を書かれたようです。主人公は11歳の王憨(ワン・ハン)で、仲良し4人組の一人、世界のどの地域に住んでいても、子供が子供であるように、旺盛な好奇心と、無知さと世間知らずさが、愛おしい子供です。王憨の両親は、文化大革命初期に都会から田舎に移転させられた人物(ブルジョア、インテリジェンシア)らしく、オペラの役者の父と地元の工場で働く母親に育てられた王憨は、ここ以外での生活を知りません。ですから、文化革命は、なんぞや、くらいしか分からないのも、仕方なく、精神的にも、物質的にも欠乏しているのが当たり前。それしか知らない、と、遺憾にも思わず、当たり前のように受け入れて生きている。字幕に表現出来るのは、台詞だけですから、欧米の観客には随分不可解な環境が有るはずです。少しは知っているつもりの私でも、ワン・ハンの父親が、たまに何処かへと居なくなる理由が、上手く掴めませんでした。毛沢東の文化大革命の、当時の中国の三銭建設計画、産業上昇計画などの前知識があったら、もっと映画が見えるかもしれない、と思います。

90年代に話題になった中国人の著作の本の数々を想い浮かべずにいられませんでした。同じくやはり90年代に、中国本国から、許可無しに撮影された映画の数々は、現像しないまま、外国に持ち出され、編集されて、本国に公開の場が無いまま、世界各地の映画祭に発表されたものでした。同じ監督の1993年の最初の白黒作品は、私は観たことがないのですが、やはり、中国映倫(映画省)のブラックリストに載り、外国の映画祭で上映された訳です。当時は、撮影する前に國家広播電影電視總局(SAPPRFT, Chinese film Bureau)に脚本を提出し、撮影許可を貰わないと撮影さえ出来ませんでした。それにしてもです、この監督、随分と映画局から睨まれていたはずですし、社会問題を描いた作品を作って来ていますから(『Frozen』1997年、『Drifters』2003年、『In Love We Trust』2008年など)、中国国内にも、或る意味大きな変化が起きているのかもしれないとさえ、思わせるくらいです。最近では、外国でも毛沢東本人や文化大革命を批難する声の方が大きいですが、未だに社会主義である中国が、いかに直接ではないといえ、遠回しにも、少しでも毛沢東や毛沢東の文化革命を批難する人間が国内に居ることは、国家として好ましくないことだと思っていました。中国の社会資本主義は、実に面白い、或る意味不可解な経済体系ですね。この映画の中には、生活の音が音響効果として納まっています。それは、ラジオの放送だったり、字幕には現れていないが、背景で人々の話している声だったり、市民放送だったりしますが、私達外国人の観客には理解出来ませんが、中国本土人の耳には届いているはずで、その事実に、やっぱりかなり驚いている私です。勿論毛沢東の時代で、現代ではありませんけど、それでも、驚かずにいられない私です。

母親役のYan Niがキャストの中で一番高名のようですが、私はこの女優知りませんでした。彼女の演技は大げさで恐いくらいで好感が持てなかったのですが、「Yan Ni以外に、この映画は、感情で揺り動かされるような中心的演技に欠ける」なんて言う評価を何処かで読んだ気がします。文化大革命時代を人々がどう生きたかを理解することは、現代の私達にはほぼ不可能であり、それでも、残された書籍や、人々の語った記録から想像するしか出来ないわけで、主人公は子供ですから、十分に表現されていた、と、私はかえって思ったくらいでした。子供は子供なりに、自分の小さな社会の中で大人から又聞きしたこと、見た事から洞察(時には的外れ勘違いも多いけど)している。特に仲良し4人組の動き、会話、子供時代は、素晴らしい、と微笑みましたよ。子供達も、可愛らしくて、好感が持てます。

粗筋は、「朝の体操のリーダーに選ばれた11歳の王憨(ワン・ハン)は、先生から体操の時に新しい白いシャツを着るように言われる。なかなか賛成してくれない母だったが、物資配給の切符を全部使い、一晩徹夜して王憨に新しいシャツを縫ってあげる。ところが、その自慢の白いシャツを彼はその日に失ってしまう」。シャツは、村の革命派委員会長でもある工場長、陳(チィン)、を殺した(と言われる)殺人犯に持って行かれ、取り返そうとする王憨。小学校が描かれ、大人の集まりが描かれ、逢い引きする若者が描かれ、若者ギャングが暴動を起し、紅衛兵が保守派の人々を攻撃し、刑務所が描かれる。刑務所の警官が、人道的な優しい人で、ちょっと本当かな、と疑いつつ王憨少年の目でもって、1975年の中国貴州省の山奥の片田舎を見て歩いたような気分になりました。秀作です。



バンクーバー新報:2014年9月11日

フィリピン映画『On the Job』(2013年)

「驚きの一作」と云う感じがありました、この映画『On the Job 』(2013 年、監督Erik Matti)には。女性コメディエンヌのAi-ai de las Alasの家族物コメディか、ラブコメばかりが大ヒットしている国に異種が出現した、と云う感じです。カテゴリーは「アクション・スリラー」、或は「犯罪スリラー」。B級だと、この映画をハリウッド、香港の同種のスリラーと較べている方もいるようですけど、私は流行のCG が無いこの映画、気に入りました。

「今までに無い」映画かどうか、と言いますと、違います。でも、フィリピンでは非常に珍しい形の映画じゃないか、と思います。こういう映画は、小さめの、主流から離れたインディペンデント製作会社が製作すると想像しますが、フィリピン一の製作会社『Star Cinema』で、その名の通りスターを沢山抱える大手。この映画は創立20周年を記念するものだったそうです。フィリピンの俳優達は人気を得るとブルー・ブラッド(血統)制のように、インドも同様ですが、政治家として活躍されるスターが多い国ですけど、今回扱った題材が政治汚職ですから、自己嘲笑的でブラック・ユーモアのセンスが有るのね、と感心してしまったりして。これは、反って非常に<フィリピン>的なのかもしれないですね、どうでしょう? 

最初の方に、テレビ放送済みであろうと思われる数々の殺人事件映像が流れているので、「実際に在った事件の数々からアイデアを得た」らしいことが分かりますが、映像が実在犯罪ストックなのか、それとも、この映画の為に作成されたものか分かりかねます。けれど、空想にしては、描かれる政治家も、刑務所も、司法システムも、勿論警察も、正当な役割を務めているように見えないので、実際にも十分ありそうな話だと、思わせるのです。それで<驚きの一作>と言った訳です。気に入らなかったところは、音楽の音が大きい事。音楽も評判が良いようですけど、私には落ち着かない。それ以外には、脚本、撮影、編集と、完璧には一歩手前な感じはしますけど、合格点どころか大満足です。脚本は、Michiko Yamamotoと言う日系フィリピン人と監督の共作です。パラレルに二組の男達を描いて、最後には全てが収束するストーリーの展開は、最初だけ、少し付いて行
くのが大変かもしれません。男達の関係は、二組共父親−息子像が反映され、複雑な心の葛藤をも想像させるものです。この脚本の強みは、ネタバレになるけれど<刑務所の長期服役囚を使って暗殺者を調達している>意外性であり、話の進行にも意外性が大なり小なりあるところ、ではないかな、と思います。それでいて、そこに宿命さえ感じさせて、それが大きな魅力となっているところ。それだけでは、こんなに夢中になれる作品になる訳は無く、俳優達がとても良い。主演の二人がモデルのようなハンサム達の為、スタイリッシュな仕上りを手伝っているのは事実ですが、意外なのは、やっぱり、そのハンサムの一人、Gerald Anderson、の若手殺し屋。父親がアメリカの軍人でテキサス育ち。スイートな感じは何処かで見たことがあったけど、驚きました。映画を見始めて、この俳優誰だ?と、彼を追って観ていましたよ。適役の裏をかいた、意外な役柄を演じた感有りますね。アメリカ俳優のJesse Bradfordや、Sam Worthington に似ている、何て、云われたらしい。これからがとても楽しみな俳優なので、こんな驚きを与えてくれたような映画にも彼がこれから沢山恵まれるといいなあ、と思います。恋愛物やらせておくだけでは勿体ない。彼と、彼の育ての親に当たる中年のリタイア直前の殺し屋に、Joel Torre。この人は多数の映画に出演しているベテラン俳優だそうですが、私観たことがなかったのです。安定した演技です。NBI(フィリピン司法省下の捜査局)の若手ホープで、義理の父親を政治家に持つフランシス役は、もう一人のハンサム、ドイツ人ハーフのPiolo Pascual。彼にケースを取られてしまう中年捜査官アコスタ役に、Joey Marquez。この人は元バスケットボールの選手で、TV監督、番組のホスト、そして政治家でもあるらしい。妹は元ミス・インターナショナルで女優、親族にも俳優が多いと云う、まさにブルー・ブラッド。フランシスとアコスタの関係もマスターと子弟、或は、父と子の関係を思わせる設定になっています。男の映画ですね。

フィリピンではヒット作品ではなかったようですけど、Joe Torreの演技力は第17回釜山映画祭で最優秀男優賞を受賞。勿論彼も良かったけど、でも私は、Gerald Anderson に注目しました。すでにこの映画は、リメイクの話が出ているらしく、監督はバルタザル・コマキュル(Baltasar Kormakur)が担当、Erik Mattiも続編を考案中だとか。<驚きの一作>『On the Job』、秀作です。

インド映画『Don2』(2011年)

昨年インド映画を紹介したけど、いかにもインド映画でした。口パクの歌と踊りがあってね。今回は、「えっこれが、インド映画?!」って驚いた映画を紹介しちゃいましょう。『Don』(2006年)は、1978 年のAmitabh Bachchan主演の同名映画のリメイクなのですが、この『Don』の続編が、『Don2 』(2011年)です。

従ってリメイクの続編『Don2』では、Priyanka Chopra演じるRomaが、何故Donをそこまで怨むのかは、分からないのですが、映画を観賞する上では、<『Don』リメイク>の粗筋が分からなくても全然支障はありません。Don(ドン)は、そもそも黒社会のボスのこと。演じるShah Rukh Khan は、デビュー初期は、意外な、型にはまらない悪役で名を成した俳優で、その後ロマンチックコメディやドラマで、大スターとなりましたが、この(『Don』と)『Don2』で、再び悪人を演じています。悪人だけど、憎めない、格好良過ぎると云う、まさにありえない人物です。『Don』でも、名文句が大ヒットだったそうで、『Don2』公開後は、Don-isms名言集 が世界中で大人気になったそうです。インド映画には無くてはならないと思われている<歌と踊り>は、数え方もあるけど、劇中一曲だけです。もう一曲は最後のエンディングロール(Closing credits)で流れるジェームス・ボンド調の画像と歌。音楽だけでも市場が大きいインドに於いて、たった3曲だけは珍しい。3曲目は、歌声が入った音楽ですが、映像は回想モンタージュ風だったと記憶します。

先に良いところを指摘しますと、アクション良し、シネマトグラフィー良し、ストーリーの進み方(ディレクション)も最高です。インドは確かに映画製作本数に於いては世界一ですが、質や技術面でもヒンディ映画界もここまで来たか、と驚くくらいです。特に、ベルリンでの撮影は、インド映画史上初めてのもので、それも、大スターShah Rukh Khan が主演ですから、ベルリンの宣伝にもなると云う意味合いもあって、市内での撮影許可と撮影支援配慮の他に、3百万ユーロ(€3million)がドイツ政府からインセンティブとして支給されています。ドイツでも、外国映画にこのような高額なインセンティブが提供されたのも初めてだったそうです。ドイツでの実際の撮影には倍以上の金額が投資されたと言います。タイ、マレーシア、インド、ドイツ、スイスで撮影されたプロダクションの規模の大きさからもうかがえる豪華なもので、それもアクション連続の娯楽性マキシマムです。コンピューターグラフィックなども使われていて、テクノ映画ですよ。洗練された、十分にハリウッドと張り合える作品だと思います。 ハリウッドヒット映画を2、3作くっ付けたような作品、と悪口を言う人もいるようですけど。主役のShah Rukh Khan、SRKこと、「ボリウッド王」こと、「Badshah of Bollywood」は、2014年、世界で2番目にお金持ちとされ、ボリウッド映画界だけに限らず、世界的大スターと言えるでしょう。彼は声が良いですね。そして、彼のエクボ(魅力と言われているらしい)、ひどく気になる大きな曲がった鼻、どこか南米にも似たような男性が居られる、と思わせるギョロ目で、観ていると気になって来る男性です。もう40代後半ですから、人気は落ち始めている、と云う評価もありますけど、美しい男でも無いのに、滲み出る色気っていうのか、やはり、50作品以上の彼の映画を全部観ないでも、じわじわと説得して来るものがあります。相手役は、Priyanka Chopra。そうです、元ミスユニバース2000年。可愛らしい感じから、ちょっと豊満な感じの20代後半の女性と云う感じになりました。だから、妙に首の筋が気になってしまいました。これだから、嫌ですね、女の観客は。確かに彼女の演技には関係ない。でも、気になるものは気になる。それは美し過ぎるからか。まだ31歳です。でも、私の一番の驚き、これは長所だと思いますが、インドの俳優達がドイツ人達と一緒に画面に納まっても全然違和感が無かった、こと。これは、すごいな、と。ドイツ人もインド人も英語を話している為なのか、お互い外国語ですから。2013年に韓国映画 『The Berlin File』が、やはり、ベルリンでも撮影され、これもまた違和感が少なくて驚きましたけど、2年も前にやってのけた前例だった訳です。

欠点は、映画が長いので(2時間24分)真ん中にインターミッションがあります。その上折角のアクションなのに、時折垂れる感じの運び(流れ)がスローで気になります。インドでは受けたかも知れないけど、音楽シーンは要らなかったし、編集で、もうちょっと引き締めたらもっと良かったと思いますね。粗筋は、世界に股をかけるドンの話。それ以上は不要です。インド映画なるもののイメージ、見解を広めちゃってくれます。騙されたと思って、ぜひ。



Vancouver Shinpo: 2014年 7月10日

中国映画『Drug War』(2012年)

日本と中国、韓国3国の上映映画トップ10リストを見る機会があり、ちょっと残念に思った。日本市場でさえも、邦画が10本中7本と快挙ではあるが、残り3本は米国で、中国語映画、韓国映画は一本も入っていない。又、中国や韓国がどのような映画を上映しようと関係ない、とも言っていられない。日本映画の優秀作品1本くらいは上映されていて欲しい、と私は願う、が、これも、トップ10リストには、一本もなかった。反映しているではないか、3カ国の状態を。世界も狭まる時勢でありながら、映画などで文化交流も行われないのは、悲しいことだと思う。たとえ、小さな映画館でしか上映されていなくても、優秀作品なら、ヒット作の一本くらい出てくるに違いない。それとも、これは、配給映画会社の問題なのか?

中国の勢いは凄い。台湾や香港との人材コラボは、もう日常茶飯事。逆に、台湾映画などは、人材流出(以前は香港へ、今は中国へ)で質のがた落ち、が懸念されているくらいだ。香港映画だって、以前のような勢いを見られないのは、中国の勢いに押されてしまっているからかもしれない。行き着く所まで行けば、落ちて行くしか先は無いのか?と、開き直ってしまう。

でもその中国映画さえ、チャン・イーモウ( 張藝謀)監督、ジア・ジィアンク(賈樟柯)などの、芸術作品と呼ばれるような作品は別として、エンターティンメント映画と云うのは、イマイチぱっとしない存在でした。昨年、ステファン・チャウ(周星馳)の『Journey To the West: Conquering the Demons』(『西遊・降魔篇』2013年)が、中国本土で大ヒットしましたが、その作品でさえ私は、字幕で追いついて行けなくて、あんまり面白い、と感じなかったのです。仕掛けが子供っぽく、サスペンスが足りない、アクションが足りない。何だろう?と。

今回ご紹介するのは、『Drug War』(『毒戰』2012年)です。大ヒットしなかったのは、万人向きでなく、子供が観られる映画ではないからでしょう。定義として中国映画とは、多分「中国本土出身の監督、俳優,スタッフらによる、中国本土資金の映画」でありますが、合作が増えているこの頃は、明確な線が引けなくなっています。監督は香港のJohnnie To。プロデューサーも、ジョニー・トーの製作会社Milky Productionで、 編集も撮影も香港人。俳優は主役の二人の内一人が、香港のLouise Koo ( 古天楽)、もう一人の主役Sun Honglei(孫紅雷)以下は、キャストは中国本土人と香港人が半々くらいでしょうか、けれど舞台設定も中国本土ならば、撮影も全て中国本土、天津で行われたようです。言語もマンダリンです。ですから、私にとっては、香港からの撮影技術・技法をふんだんに使った本土中国人観客向けの映画、と云う感じ。勿論香港人も喜んでくれそうですけど、驚きはしないでしょう。そして、ネタバレになりますが、最後は非常に中国本土的な終わり方をしています。「あ〜中国映画だ」と思ってしまいました。

この映画のように、ストーリーが面白くサスペンスとアクションの連続なのも、今までの中国本土映画では見られなかったタイプの映画ですが、翌年2013年には、やはりスン・ホングレイとユ・ナン(余男)、そして香港のアーロン・クオック(郭富城)主演の法廷ドラマ『全民目撃』(『Silent Witness』)が大ヒットしました。アーロン・クオックを除いて、監督を含む大多数を、中国本土人が占めた作品で、まあ、最後は中国的でも予期出来ない展開で、よく構成された優れたドラマでしたが、法廷ドラマ故、スリルもアクションもずっと少ないのです。けれど、テーマは父親の愛だったこともあり、一般観客に受けが良かったようなのです。スン・ホングレイ自身は、2005年くらいから、すでに香港映画の中国本土撮影、例えば武狭映画『七剣』や、香港撮影の香港映画『Triangle・鉄三角』など、中国語圏の国際派(?)として活躍して来ました。ルイス・クーの方は、日焼けサロンで焼いた小麦色の肌で有名な2枚目俳優ですが、この人の悪役、『Protégé 』(2007年)での演技が忘れられません。香港映画ではスターが悪役を演じるのは珍しくありませんが、コメディから悪役まで演じる彼は、同じようにどのような役もこなすアンディ・ラウを抑えて、今日、香港で収入が一番多い俳優です。

覚醒剤(アンフェタミン)の違法トレードを扱っているので、タイトルが『毒戦』になった模様です。突飛な、おおげさな、とは思わせないストーリー展開で、意外性も高く、アクションたっぷりの傑作です。大ヒットしなかったのが不思議です。私のお気に入りは、でこぼこコンビの大聾と小聾。グオ・タオ(郭濤)と台灣初のトランス・セクシャル芸能人のリ・ジン(李菁)が、男性として登場します。ドタバタコメディアン達かと思ったのですが、後で調べてびっくりでした。 ミュージックはフランス人のアーティストで、業界の先端を行く意気込みが感じられる、非常に娯楽性の高い映画には、違いありません。


Vancouver Shinpo:2014年、6月12日

シンガポール映画『Ah Boys to Men』(2012年)

シンガポール映画と云えば、Glen Goei監督のディスコ/カンフー/ミュージカル『That’s the way I like It』(aka『Forever Fever 』1998年)を思い浮かべる人が多いようです。ジョン・トラボルタの『Saturday Night Fever』へのシンガポールの応戦とも云うべき映画です。でも、あれから16年も経っているのですから、似たような、否、それ以上の感動を与える映画があってもおかしくないですよね。勿論DVDレンタルで借りられる映画には、Royston Tan (『15 』2003年)、Eric Khoo (『Be With Me』2005年)、或はDjinnの『Perth 』など、海外でちょっとした注目を浴びた彼らの映画は、シンガポール映画史上では、大切な位置にあるとは思うけど、正直言って、強烈で灰汁が強く(作り物でなく現実なのかも知れないが)急進的過ぎる、と思う:セックス、ドラック、レスビアン/ゲイ、売春などの素材を選んでいるのだから。皆さんに紹介するのであれば、出来れば観客に優しい、日常的でかつ、賑やかに、楽しいコメディであれば良い。又同時に、私達外国人が観ようが、観まいが、まずシンガポールの人々が、娯楽として楽しめる映画であるべき、とね。

シンガポールは新しい国です。独立は1965年。映画の黄金期は独立以前に始まっていて、ショーブラザースや、キャッシイスタジオを中心に1947 年から1972年だと云います。土地柄、最初からマレイ、インド、中華、英国,ミドルイースト、あるいは日本(占領軍)の影響を受けて成長して来ました。バンダリズムや公共の施設整備に厳しい国と云う印象がありますが、シンガポール現代映画からは、そんな印象は未だに受けたことは一度も無く、どちらかと云えば、人種の<るつぼ>のような土地、そこにハーモニーはあるのか、と云う、お鍋で云えば<ごった煮>の感じでした。

今日ご紹介する映画は、Jack Neoの『Ah Boys to Men』(2012年)。シンガポール映画収益歴代ナンバーワンの収益映画です。この映画は、主人公達がシンガポールの兵役制度に服役している若い兵隊たちであることもあって、National Service(国民征兵制度)45周年にキャンペーン便乗し、防衛庁からの手放しの後援を得て製作されたと云う前代未聞、鼓舞激励、のプロジェクトなのです。新加坡共和国武装部隊の戦車、トラック、兵器類が手放しで支給され、危ないので現場コンサルタントも付けてくれたと云う。けれど、資金的支援をされると、芸術的な決断が最終的に無くなるのを恐れて、「お金の支援は断った」と、監督は云います。予算の4倍以上の収益を得たと云われるこの映画は、シンガポール歴代最も高い予算S3百万ドルで製作された、と云う。ビジネスの中心通り、ロビンソン・ロードを一日閉鎖して大掛かりな撮影をした上に(勿論そんなことは初めて)、そのシーンに 高価で高度なCGI(computer-generated imagery)を使っている。その上、徳光島に在る基礎訓練施設も、今回初めて許可が出されて撮影されているから、驚く。映画は大ヒットでしたけど、評論家たちの評は賛否両論だったみたいです。私は好き。愛国主義だ、徴兵制度を美化している、下品かつセクシストとか、色々言うでしょうけど、映画にエネルギーがあり、見ていてMake you feel goodな作品ですもの。悪の存在が(いじめも)無いのも、良いです。

監督のジャック・ネオは、日本で云えば、オールマイテイ (versatile)の人物で、肩書きは監督、コメディアン、俳優、番組のホストもこなす。シンガポールの伝説の(歌手、俳優、作曲家、そして映画監督)、偉大なP.Ramlee に、較べられるほどで、Jack Neoにとってかなり光栄なことに違いない、とは思うのですが、監督としては、<天才監督>とは、未だ思えない私です。どちらかと云えば、器用な監督じゃないか、とね。それにしても、シンガポール映画歴代1位から5位までが、全て彼の映画と云うのは、正直、凄いと思います。シンガポール人をよく理解している、シンガポール人が好きな映画監督なのでしょう。なんと言っても、この映画の魅力は、若手俳優達じゃないか、と思います。どの青年もこの映画の為に選抜されて、これが初めての映画出演なのですが、皆非常に自然で好演しています。主人公は一応5人くらいの若者なのですけど、脇役も大勢で、ベテラン俳優達も、中々いい味出しています。私は特に、ガリガリに痩せていて、入隊前に金髪だったIP Man を演じたNoah Yapと、23歳の若さで熟練のドリル軍曹役を演じたTosh Zhang が、忘れられません。Tosh Zhangは主題歌も作曲しているそうです。映画は大人気で、彼らをスターにし、次作も今年製作されると云いますから、楽しみです。

徴兵制度を通して、シンガポールの若者達が身近に感じられると思うし、国に仕えると云う意味も、私のような人間でさえ、分かるような気がして来る映画です。まあ、笑ってください。


Vancouver shinpo: 2014年,5月8日

タイ映画『Gangster 』(2010年)

2010年、カンヌでApichatpong Weerasethakul監督の“Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Life” がパルム・ドールに輝きましたが、タイ庶民には支持され難い作品だったようです。映画は娯楽ですから、高尚なものでなくて良いのですが、政治的、思想的なことを考慮し、大人度(露出度、モラル度,残酷度など)を考え,映画の社会への影響力考えますと、「良い作品だ」と云える映画に巡り会うのはなかなか難しいものです。老若男女が楽しめる娯楽映画で、そこに文化的な何かがプラスされた、言葉の違いや文化の違いを超えて人々の心に届くような作品は稀です。個人的には、クロスドレッサーやゲイの選手が、偏見や差別を乗り越え国体に出て優勝すると云う『Iron Ladies』(鋼鉄の淑女?『アタック・ナンバーハーフ』と云うらしい)なんか大好きですが、もう14年も前の作品です。ことに実在した人々を描いた作品は、より一層人間味に溢れ、温かい気分にしてくれます。

「成功例じゃない、失敗」と云う声も多いのですが、その時代を生きたウイットネスのインタビューを組み込んで、1950 年代の実在する人物達を主人公に、タイのギャングを描いた『The Gangster』(2012年 aka『Antapal』) があります。アメリカのエルビスやジェームス・ディ−ンを崇拝していた(?)時代だったようで、この映画も非常にスタイリッシュな仕上がりになっています。実在の人物だと、云われていますが、英語で検索しても、裏付け出来る主人公の活字資料が見つからないでいます。だからかどうか、1997年のNonzee Nimibutrの映画、タイ<New Wave>の幕開けとされる『Dang Bireley’s and Young Gangsters』が、しばしば引き合いに出されています。この作品の主人公はDang になっており、『The Gangster 』では、二人の主人公(DangとJod)のJod に焦点を当てているものの、Dangの人物設定は勿論、話の構成、スタイルも極似で続編に見える、とさえ言われているそうです。大きな中華街もあるバンコク故、Dangは勿論Jodも実在し、似たようなギャング闘争が起こっていたことに間違いない、と私は思っています。当時の大統領Sarith Thanarathが、マフィアを社会から排除しようと試みた時代と時代背景が同じですし、全くの架空人物ではないでしょう。

残念なことに、この作品はちょとたらたらと長い感じがします。構成や、ストーリーの展開の仕方などが、理由だと思うのですが。不自然に感じるのも一カ所や二カ所でないのです。長いと云いましたが、2時間ちょっと足らずなのに、伸びきってしまったゴムみたいな<たれ>、は、正直、改善出来たはずの範囲のものだと思うのです。それなのに、何故? タイ人には違和感の無い<たれ>なんだろうか、と。まあ、ギャングの話ですから、スト−リーは分かり易い小競り合いのやったりやられたり事件の連続ですが、花を添える為かちゃんと恋の話も描かれています。ボスの女とチンピラの恋、否、不完全燃焼の恋。このボスの女と本当の父の関係などはこじつけにも見えるくらい曖昧で、問題は演技力なのか、設定なのか? 悲しみよりも、不可解さ不自然さが、先に気になってしまいました。ギャングメンバー達がテーブルを囲んで「裏切り者は誰だ」とボスが名指しするシーンなど、ボス自身がドラエモンに出て来るような漫画的外見の男で、なのにその後、血だらけの内輪もめになってしまう。計算済みの難解さ、とか、言われたとしても、到底納得行かない<へんてこな>話の展開なのです。が、もしこの映画を、タイ語を理解しないアメリカ人のエディターに編集して貰ったら、秀作に成り得たかも、と、勘ぐってしまいます。国民性なのか。だから、非常に残念な、惜しい作品ではないか、と思います。

逆に、この映画の強さは、Jodを演じるKrissada Sukosol Clapp(Krissada Tetrrence、Noi Pruなどの別名有り)ではないか、と。小柄なのに、決して見劣りしない強い存在感を実証しています。歌手でもあり、いえ、ホテル経営者としても国内外で知られていますが、非常に温和な感じで、声も細く高め、話し方も穏やか。家族の為にギャングをしている、と言う設定が嘘に見えない。Jodは殺人者だけど、悪人ではなく、庶民に愛され、男として、家族、仲間を大切にし、誠実で、敵のボスにだって一目置かれる格好いい男。適役とは、まさにこんな感じなのでしょう。Noiの演技力は、この作品以前の『13 Beloved』(2006 年)でも、明らかだったと思うのです。

素手あるいはナイフから、銃へと代わった転機が、ギャングの義理人情も変えたのかもしれない、とも思いました。ホラー映画や、ラブコメ、ムエイ・タイに飽きたら、ぜひ。 


バンクーバー新報:2014年,4月10日