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このサイトにお越し頂き、私の記事を読んでいたけることにお礼を申し上げます。

残念ながら、バンクーバー新報での『リヒト緑のMania de Night!』は、2015年3月号を以て終了致しました。5年に及ぶ連載にバンクーバー新報そして読者の皆様に感謝致します。

この書庫が存在するうちは、まだ、皆さんに読んで頂けるようで、大変感謝しております。

リヒト緑
2015年、10月25日。

フィリピン映画『Graceland』(2013 年)

この映画『Graceland』は、低予算というだけで、「面白いの?」と拒否反応が出る可能性は高いでしょう。貧富の差が激しいフィリピンで、誰が、現実的な話を観たいか?と。もっと恋愛コメディ、大衆コメディを持ってきやがれ、とね。が、私の知るところ、それは、沢山出ている。この映画の監督、Ron Moralsは若手で、この作品は、長編2作目である。いくらクルーがアメリカ人達であっても、ハリウッド映画みたいな面白さは、期待されないでしょう。さらに言えば、カメラが手ぶれして、いかにも素人の半ドキュメンタリー・ゲリラ作品だろう、と思う人もいるかもしれない。それに、内容も、Human Trafficking(人身売買)、役人の汚職、ギャング犯罪なのですから、いい加減にしてくれ、毎日目の辺りにしているよ、とフィリピン人観客は言うでしょうね。明るい訳ないし。私も、もう一回観られるか、と聞かれたら、自信がない。見終わるとぐったりと疲れてしまった。が、ですよ、この映画監督の才能には、驚かされました。

フィリピンの国の美しいところには目を向けず、あえて、醜く暗い現実を浮き彫りにして、何が楽しいかと。何の為か、と聞かれるでしょう。無理もありません。配給会社としても、この商品(映画)は非常に売り難いものだ、と信じて疑いません。フィリピン国内だって、手放しで受け入れられるかどうか疑問でもあります。が、しかし、映画の中で起きている事が現実に起きているからこそ、こういう映画が作られて、「最終的には、誰も無実じゃないぜ」と言っている訳です。自分の中の悪魔を見逃してはいけない、と、言っているのでしょうか。知っていながら、止めないのは黙認しているのと同じなのだとね。だからこそ、このような映画は、作られるべくして生まれ、日の目を見させるべきなのでしょう。フィリピンも、昔は社会的な映画が作られていました。私は社会派の故Lino Brocka監督作品が好きなのですが、言葉が違って、文化が違っても、人の心に訴えて来ます。私は、いつも無意識に、否、意識的にポストLino Brocka監督をフィリピン映画に求め、探しているようにさえ感じています。フィリピンの恋愛映画も嫌いではありませんよ。映画に夢を託して何が悪いでしょうか。私達大人だっていつでも、ドラエモンに、ミッキーマウスに、トトロに恋しています。けれど、ジャンルが偏るのはつまらないし、映画がエンターテーニングである限り、驚かされる才能が出てくれるのは、文句無く嬉しい事だと思うのです。ベトナムなども、「ベトナム初のアクション映画」の切り札で映画が公開されましたが、出来の方はともかく、欧米に運んで来てくれた人物は、ベトナム系アメリカ人のスターでした。

この映画も、かくして、フィリピン系アメリカ人のRon Moralesが運んで来ました。このような動きは、彼だけじゃなくて、インド映画、イラン映画、タイ映画、トルコ映画などにも、欧米に海外在住する同胞や、あるいはハイフン系(インド系カナダ人etcのように、移民者の子弟) の監督、クルーなどが加わる事で、変化、進展がみられるようだと、私などは感じております。彼らの作品がその言語圏外の欧米で受け入れられると云うことは、つまり、文化のバリアーを砕いたと云うことではないでしょうか。フィリピンも、昨年紹介した『On the Job』(2013 年)や、もっと過激な私の好きな監督、Brilliante Manduza、などの監督の出現に依って、面白くなって来ていますが、このニューヨーク大学で映画を勉強したと云う監督、Ron Morales が、次にどんな映画、それも、再びタガログ語で、何をしでかしてくれるか、非常に楽しみです。確かに日本人が好む映画があるように、フィリピン人が好む監督や、作風も在るかもしれませんが、Ron Morales は、まさに、翻訳者のように、フィリピン映画を欧米世界が理解出来る域まで、導いて行ってくれる人の一人に違いありません。

この映画の長所は、脚本が素晴らしいこと(監督が脚本を書いています)、監督に才能があること。そして、撮影監督が優秀なことじゃないか、と思います。主演のArnold Reyesmも、家族が生き延びる為に必死な悲しい男を好演しています。外見も地味で、全然かっこ良くないし、でも、こういう人が俳優であるからこそ、超人じゃない、ただの普通の男、をこなして(演じて)行けるのでしょう、多分。

粗筋は、政治家チャンゴのドライバー、マーロン(Arnold Reyes)には、病気の妻がいて、手術が必要だ。お金が必要な彼は時に、ボスの変態趣味の相手のポン引きまでしている最低な男だ。ある日、ボスの娘を娘と共に自宅に送り届ける途中で、車はカージャックに遭う。マーロンは、ボスになんとしても身代金を出させなくては,自分の娘が救えない。

秀作です。ただし、この映画は、家族向けではありませんし、リベラルな頭の観客向けです。勝手ながら忠告しておきます。

2015年、3月バンクーバー新報

『KANO』(『KANO 1931 海の向こうの甲子園』2014年)

『KANO』(『KANO 1931 海の向こうの甲子園』2014年)

この映画『KANO』は、日本で先月24日に全国63ヶ所で上映されたばかりの作品です。『KANO 』とは、大日本帝国統治時代(1895年から1945年の50年)の台湾に実在した、嘉義農業高校(現国立嘉義大学)の略称「嘉農」を日本語読みしたものです。台湾映画でありながら、当時の時代背景と野球部の監督が日本人の為、台詞は日本語が主流で親しみ易く、他にTaiwanese Hokkien,(台湾閩南語)、 Hakka(客家)、Farmosanと呼ばれる台湾諸語/原住民語が使われています。製作は台湾。実在人物に架空人物が加えられた脚本になっています。

愛媛県からやって来た野球監督、近藤兵太郎、に永瀬正敏。彼の妻近藤カナ役に坂井真紀。大沢たかおが、台湾の水利事業に大きく貢献した実在人物、八田興一役で、野球部員達を激励するシーンで数回登場しています。そして、近藤の愛媛松山商業時代の野球部監督で、彼の恩師,佐藤役に、イギリスを拠点として活躍する伊川東吾。この人は、シェークスピアを演じる劇団員のような貫禄があり(事実、彼はそうである)、日本語を話しながら、どこか外国人かと思わせる雰囲気のある俳優です。野球部員は主に日本人ですが、台湾人が日本人役をしていたり、台湾人や原住民であっても、日本語を話し、日本名を名乗っているので、誰が日本人なのかを見極めるのは難しいです。が、その必要も無い訳ですけどね。監督は、『Seediq Bale』(2011年)で、親日派の歴史上の人物、原住民Temu Walis 役を演じたUmin Boyaこと馬志翔(Ma Chih-hsinag)で、今回は俳優としては出演しておりません。脚本に『Seediq Bale』と『Cape No.7』(2011年)の監督の、魏紱聖( Wei Te-sheng)が参加しています。馬志翔を監督に指名したのは、魏紱聖だそうで、野球に詳しいことが理由だった上に小作品の監督としての腕を買われたそうです。この映画は、近藤と日本人、台湾人(漢人、客家、台湾原住民)の野球部員たちの話です。甲子園に代表される現在の全国高等学校野球選手権大会は、当時、全国中等学校優秀野球大会と呼ばれていたと云います。大日本帝国統治時代当初は、台湾人と日本人は別々の初等中等教育制度だったそうですが、学校教育に拠って日本に同化させようとする撫民政策で、差異が縮まったとされています。それでも、甲子園に代表として行くのは、台湾から一校だけだったので、この<嘉農>校が台湾代表として行く1931年までは、日本人のみで構成された代表中等学校(台北一中とか、台北商業)だったと云います。

甲子園への道、というだけで、何か熱い若さを感じますが、この映画も、若い野球部員達がキラキラ輝いて眩しいくらいです。それなのに、皆度胸が据わっていてとても冷静なのが、格好良くてため息が出ちゃいますよ。初めて台湾から人種的に(?)混じったチームが代表になり、あれよ、あれよと、決勝戦まで行く。野球のシーンは、野球が好きで野球に詳しい監督の為、凄く良く撮れていて、毎年夏に日本国民が熱くなる理由が分かったような気がしました。選手達は特に野球を実際に5年は経験した背の高い青年を選んだそうですが、見せかけのものじゃないのが、分かります。主人公に呉明捷(ごめいしょう)、と日本語読みした実在の人物で「麒麟児」と言われたそうです。平野保郎、真山卯一、上松耕一、東和一などの名前を持つ野球部員は皆原住民であり、漢人も日本人もほぼ実在の人物がモデルになっています。「スポーツは国境を越える」って、こそばゆいくらいキザな言葉だけど、しっくり来ますよ。野球部に憧れて練習場に来ている少年は、呉波(ごは)と言い、後に日本野球殿堂入りする名選手、呉昌征(ごしょうせい)だそうです。嘉義農業高校の野球部に入部、監督は同じく近藤兵太郎であったと云います。彼は、甲子園出場時に、「裸足のプレヤー」として知られたそうです。私のように、ルールくらいは分かるけど、などと云う程度の野球知識の者でも、とても楽しめる映画です。見終わった後に、<Feeling Good>になる映画。

余談ですが、八田興一(はったよいち)は、日本統治時代の台湾で、10年以上費やした最大規模の農水施設、嘉南大圳を建設した人物です。果たして、彼と嘉農の接点がどこまで深いものだったかは、分かりかねますけど、この映画に、彼を登場させた事で、台湾が当時、日本人の教育者、技術者達の貢献に熱気だっていた背景が描写され、好感が持てます。良く言えば、台湾人の日本人への友愛を感じると言いますか。当時の日本人達が、現代の台湾人に語りかけた映画、と言っても過言ではなく、台湾でこの映画は大ヒットしました。私達、普段は日本と台湾は正式には国交が無いことを忘れていますが、今まさに日本でも、<KANO旋風>を巻き起こせるか。私は、楽しみでもあります。

2015年,2月バンクーバー新報

初めに:

このアジアン映画評を書き初めて、すでに、5年が経ちました。
まずは、バンクーバー新報さんに感謝致します。このサイトは、元より書庫として,皆さんに読んで頂く為に設置しました。アジアン映画を,今までも、大好きでしたけど、この5年は、アジアン映画しか観る機会がなかったかもしれません。私自身、映画製作をしたくて、NYU(ニューヨーク大学)に留学した身ですが、だから、「映画を作らない奴が何をほざくか!」と言うご意見も良く分かっているつもりです。

ですから、あまりヒットしなかったけど、良い映画を紹介して行けたら、と思って書いて参りました。素晴らしい小説があるように、別の形ではありますが、映画が存在する。芸術か、どうかは、私はあえて問わないことにしております。まずは、エンターテインメントであること。ですから、最近は、家族で楽しめる、子供も観られたら、と言う方向になっておりますが、残念ながら、私の好みでもあると思いますが、大人のエンターテインメントになってしまっております。

まあ、子供のエンターテインメントは、デズニーと宮崎駿に任せる事にしましょう。

リヒト緑

『Journey to the west : Conquering the Demons』(2013年)

ちょっと当惑している。この映画は、中国で5200万人を動員した興収第1位、世界12カ国で上映されたと云うメガヒット作品だ。11月末に日本で上映の予定だったはずで、監督の周星馳(チャウ・シンチー)が日本に6年振りに来日して記者会見を開いている。が、その後ヒットの噂を聞かない。まだ日本公開(『西遊記〜はじまりのはじまり』)1ヶ月も経っていないのに、何処を探しても、興行成績上位に入っていない。やっと見つけたら、九州の映画館一件(だけ)が上映中だそうだ。

私は、西遊記を恥ずかしながら読んだ事が無い。主人公は、日本のテレビの影響か、女性なのか?と云うイメージがあったくらい。中国の4大名著の一つなのに、何と云う貧しい知識。が、この映画は誰もが認める香港のコメディ王の新作だ。そんな堅苦しい背景は要らない。けれど、今回は監督としてだけの参加である。だから、日本で人気がイマイチだったの?と思うけど、彼が出なくても、彼のユーモアのセンスは健在だし、なんて言ったって、黄渤(ホアン・ボー)が孫悟空として、ジェット・リーと親子を演じた『Ocean Heaven』(2010年)の文章(Wen Zhang)が玄奘(唐三蔵)として出演、そして、勿論周星馳の演出が、多いに笑わせてくれる。コメディって国民性が反映し、日本人から笑いを取るのは外国人には難しいからかな? 周星馳は特有の下ネタジョークが多いからね。でも、下ネタって結構万国共通よね。彼の作品には必ず主人公が心を奪われる女性が出て来るが、今回は台湾のセクシー女優、今や、中国圏のセクシー女優、の舒淇(Shu Qi、決して演技派とは言われない女優だが、2008年の中国の演技派グォ・ヨウ(葛優)と共演した『If You are the One』(『非誠勿擾』)から知名度をぐんと上げている)が、文章演じる玄奘のお相手役。豬八戒は、台詞が一つもないのだが、プラスチックを顔に被せたような顔で、お肌真っ白の美青年、中国本土俳優、陳炳強(チェン・ビングチエン)。沙悟淨(水妖)も、これ又台詞ゼロ(妖怪だから、二人共喋れない?)も、知的な雰囲気な香港の俳優(元劇作家らしい)李尚正(Lee Seung Ching)を起用しているが、彼の表情には笑ってしまった。実は私、一年も前にこの作品を観ている。が、どうも英語字幕に追いつけなくて、面白い、とは思えなかった。ところが、最近のホアン・ボーの中国本度稼ぎ頭#1 の人気に唖然としていた矢先、この作品に彼が出ているのを思い出して、再度観賞した訳です。彼は、どちらかと云えば、背も低く、顔が大きく、手足が短くて、脇役のお顔をなさっているの。先出のグォ・ヨウもですけどね。中国では、国民的俳優たるもの、中味の魅力(お笑い?)が重要らしいのです。「男は顔じゃない」と云う感じでね。その彼の作品の中でも、この『Journey to the West』は、彼の魅力が十分発揮された作品だと思うのですよ。感心しちゃったくらい。出演者には、他にも、本物の少林寺拳法32代目と云う行宇(Xing Wu)が、北斗五形拳役。私は、彼を台湾の少数民族の俳優と勘違いしていたくらい、どこか、素朴で愛嬌の有るお顔をしています。彼の、アンデイ・ラウ主演の『新少林寺』(2011年)での印象が強過ぎたらしいのです。空虚公子役は、台湾のポップスター羅志祥(Show Luo)。台湾のテレビでMCを務めて人気者だけど、普段からコメディにぴったりと云う物腰で明るい感じなので、場違いな感じは全然しません。でも、意外性は全く無し、ですから、彼の俳優としてのキャリアには、損かもしれません。そして、趙志淩(Chiu Chi Ling)は、非常に暖かい人間味がある71歳の、香港の俳優。「優しくしてね」の台詞に大笑いしました。

私は昔から、Silly な周星馳の作品が大好きなので、全て観ているのですが、周星馳が凄いのは、哲学的でも(笑われるかもね?)あるところじゃないか、と思うのです。『西遊記』を書いたと云う明時代の吳承恩(Wu Cheng-en)の原作とは、勿論かけ離れた脚本、粗筋ですけど、大作でCGも凄いので、最初の15—20分は、もう、息を呑みます。映画は芸術だ、じゃなくて、「映画はエンターティンメントだ」の一言に尽きる作品です。粗筋は「河妖が小さな漁村を襲います。そこに現れるのが悪魔(妖怪)ハンター玄奘。<童話300曲>を手に歌いだす。失敗に終わると、そこに、美しい別の悪魔(妖怪)ハンターが現れ、退治してくれる。すっかり自信を失った玄奘は、彼の師匠に会いに行くが、師匠に<悟り>の為にと再び送り出される。」。子供と一緒に観れるかって?ウ〜ん、やっぱり、大人のエンターティンメントかな。



バンクーバー新報:2015年1月8日

インドネシア映画『The Raid 2: Berandal(2014年)

約一年前に『The Raid 2: Berandal(Thugs)』(邦題は『ザ・レイド GOKUDO』)の前作、『The Raid :Redemption』を紹介しました。この時期、ホリディシーズンですから、エンターテェイメント性が高いものを紹介したくて、色々と探してみたのですが、最近中国語の映画の紹介が多かったし、タイのムエイ・タイも観てみましたけど、『The Raid 2:Berandal』が、アクション娯楽映画として非常に素晴らしい出来なので、今回紹介することにします。

が、手放しで「エンターテェインニングよ」、と喜べません。残酷なんです。前作もそうですが、インドネシアの武道Pencak Silatが映画で表現されると、骨が折れる音がボキボキ、スカルや首がボキッとか聞こえるのです。そして、拳銃他、数々のシラットの武器が出て来ます。もう、残酷ですよ。血だらけは当たり前ですので、小心なバイオレンス、血が苦手な方や、子供は、観ないで頂きたい。日本では、「男なら、観なくちゃいけない」と宣伝されているらしいのですけど、女性が観て楽しんだら、いかんのか、と問われますと、私は面白かったのですが、初デート の相手を連れて行く映画では無いような。そして、この映画が好きな彼女とは、恋愛は成就しないかも、と思います。大概の男は、暴力に物怖じしない彼女に後ずさりすることでしょう。ですから、女性の皆さん、まあ、デートで行くことになったら、「恐い」と言って泣くべきで、楽しんでいるのを彼に見せてはいけません。男の映画には間違い無いでしょうけど、でも男達だけを楽しませておくには、勿体ない感じ。矛盾しているのを承知で申し上げます。映画としては、ここまで、高度なアクション、それを撮影する為の強い<こだわり>や配慮、編集、本物のシラットを見せるアクション映画は、観たことないですから、やはり秀作、でしょう。無駄に血の気を上げさせるので、バカな男達には観て欲しくないけど、常識をわきまえている大人が見るなら、例え女性でも、ぜひ、ご覧頂きたい、と思います。

前作は、「凄い」、と言われ、世界では注目されながらも日本ではヒットしなかった『The Raid』なんですが、今回は日本市場を大変意識したストーリーなんですよ。日本から、松田龍平、北村一輝、遠藤憲一が『後藤組』のヤクザ組員として出演しています。と、言うことは、実は日本の映画界も、第一作目『The Raid 』を、高く評価していたことになるのでしょうか。第一作目を私は「漫画みたい」と言いましたが、『The Raid 2-Berandal』は、「漫画でも」高度な出来で、ビデオゲームのキャラクター達が人の体を借りてビデオから抜け出たようです。2時間半と云う映画の長さに、数は数えなかったけど10以上の 格闘シーンや、カーチェースが存在します。アメリカではR指定になり、マレーシアでは、上映禁止になりました。粗筋は、一言で言えば、犯罪映画にありがちな権力の争い。前作もモラルや倫理には全く無縁な残酷極まる話でしたが、今回も同様ですが、前作より プロットも充実し、キャラクターにも深みが入っています。前作でMad Dogとして出演したYayan Ruhianは、今回は、Prakosoと云うナタを振り廻す新キャラクターで復活、又前作同様振り付け師として参加しています。映画のウェールズ人の監督Gareth Evansは、Ruhian を抜いては『The Raid 1&2』 は考えられない、と公言している程です。もう、一人 シラット格闘家のCeccep Arif Rahman もBejo と言うギャングスターの一番弟子として出演しています。ボスの一人息子Ucoを演じるArifin Putraは、ハンサムで、お坊ちゃんと云う感じのキャラですが冷酷な感じ。Bejo 役のAlex Abbad も印象に残ります。主人公のRamaを演じるIko Uwaisが、ちょっと太り、頭の毛が薄くなったような印象です。日本勢は、あまりシーンが多くないのですけど、松田龍平の存在感が光っています。力を入れて演技していないのが、良い感じです。<Hammer Girl >と<Baseball Bat Man>も、強烈な印象を残します。殺人がエンターテェインニングなんて、病気以外の何ものでもありませんけど、「凄い」以外に、なんと表現すれば良いのでしょう。

映画は、前作の2時間後の設定でスタートし、前作の主人公Ramaがアンダーカバーになって、暗黒界のボスの息子に接近し、ボスと息子の葛藤、若手のギャングスター、警察の悪、「後藤組」が絡んで縄張り争いになる。バイオレンスが凄過ぎて、映画が長過ぎて、エンターティンメントじゃなくて、観ることが<試練>に感じられる、と言う評も多かったことも付け加えておきます。アクション映画が大好きな人、香港映画を観過ぎた人にも、絶対満足して頂ける映画であることには間違いありません。




バンクーバー新報:2014年 12月11日

シンガポール映画『Ilo Ilo』(2013年)

シンガポール映画史上初めて、2013年カンヌ映画祭で<長編新人監督賞>に当たるCamera d’Or award を受賞、台北金馬映画祭優秀賞含む四部門での優勝、その後数々の映画賞を獲りました。シンガポールは、アジアの経済大国です。が、たった人口500万人の、銀行と電子企業の集まった港町です。自国で映画産業を繁栄させるだけの人口も無ければ、かつてはイギリスの植民地であった彼らには、経済的に世界に目を向けることに忙し過ぎたのかもしれません。だからか、シンガポール映画の歴史は極端に貧しい感じがします。50、60年代には、マレイ(語)映画界の大スターP・Ramleeなどで、地域的に繁栄した時期もありますけど、それからは、ぱったりと冬眠期間に入ってしまう。しかし、1991 年に短編映画祭であるSingapore International Film Festival が開催されてから、自国の映画作りの姿勢が変わって来た感じがします。シンガポールは倫理にも厳しい国なのは有名ですけど、映倫であるSingapore Film Commission が出来たのは1998年だそうです。宗教色の強い隣国と較べ宗教や人種の<調和>を大切にすると同時にタブーも多い訳で、現在も国民が何を観ないで何を観るかは、国が決めています。この映画は、シンガポールからのアカデミー賞に<エントリー>になりましたが、ノミネートされませんでした。

この作品の監督は30歳の青年です。これまでは短編を撮っていましたが、初めての長編でこの快挙、素晴らしい。この映画は家族ドラマで1997年のアジア経済危機が背景になっています。10歳のJiale君を含む家族3人共働きの林(リム)家に、フィリピンからメイドがやって来ます。社会経済状態が悪い為にその
煽りを直に受けて、Jialeの両親はストレスが溜まり切っている感じです。その上、母親は妊娠しており、Jialeの両親のどちらも家庭で子供の面倒をみれない上に、祖父母の世話を当てに出来ない(多分最近Jiale君の子守り役の祖父が亡くなった?)切羽詰まった感じが伝わって来ます。ストレスの溜まった両親を見てJiale君は、両親から感じる不安や心配をそのまま親に、学校生活にと、反映して反抗している感じで、母親は、会社での首切り(解雇)手紙を書く執務を抜け出しては、Jialeの学校に謝りに行ってばかりです。この母役の揚雁雁(Yeo Yann Yann)の演技力が注目されましたが、私はこのJiale(許家樂)君とフィリピンメイド役のAngeli Bayaniの、bonding (繋がり)に心を動かされました。嫌な子なんですよ、最初のJiale君は。もう、生意気な嫌な子。母親に代わって子守りを任され、自身の小さな子供をフィリピンの親族(妹?)に託して働きに来ていてるメイドのTerry が、Jialeとむしろ、本当の母ー息子の関係を凌ぐ強い関係を築いて行く。二人の親密な関係に嫉妬を感じる母親も描かれていて、ユーモアに富み、愛に富んだエピソードが沢山紹介されている作品なのです。ひたすら甘美で、慈善的だったら、「素晴らしい」とまでは、私も言いませんけど、両親とJialeを描いて行くうちに、アジア経済危機の時代のシンガポールの汚点や問題が暴露されて行く。それも、淡々と。シンガポールの中流社会の現状。子育てのヘルプとしてフィリピンなどの外国から入って来るナニー兼メイド達。忙し過ぎる両親のメイドへの対応の仕方は、まるで奴隷扱いであり、偏見だらけなんですね。子供達は王様のように扱われている。設定はわざとでしょうけど、特に揚雁雁の母親は、どうしても好きになれなかったです。メイドに対する態度の高慢なこと。自宅に辿り着いてすぐにパスポートを取り上げ、高飛車に物を言い、息子がメイドに生意気で失礼な態度を取っても、戒めない。「息子と部屋を共用しなさい」、なんて、当たり前のように言ってのける。勿体なくて捨てられなかったとみられるドレスを、着いたばかりのメイドに与えるのは、施し、にさえ見えます。が、ユーモアもあるのですよ。後で、Terryがこの古着を着て、Jiale君を心配するあまり母親面して学校に出没したりするのです。

両親とJiale君に<シンガポール(の姿)>を投射している、と主張していた評論家もいた程です。この映画は、観賞後、ひたひたと迫って来る胸の痛みがあります。父親役の陳天文も、メイド役のAngeli Bayani と共にもっと評価されるべき、と思ったほどです。監督の談話に依りますと、監督が子供の頃、理想的な<父親像>と言ったら、陳天文だったそうです。そもそも、Anthony Chen監督は、子供の頃世話してくれたフィリピン人メイドへの思いが強く、その話を描きたかったようなのです。そして、彼曰くシンガポールのこれからには「(社会発展すれば)、国は文化や芸術と云った優しいものが必要」、「物じゃなくて」と。秀作です。


バンクーバー新報:2014年 11月