シンガポール映画『Ilo Ilo』(2013年)

シンガポール映画史上初めて、2013年カンヌ映画祭で<長編新人監督賞>に当たるCamera d’Or award を受賞、台北金馬映画祭優秀賞含む四部門での優勝、その後数々の映画賞を獲りました。シンガポールは、アジアの経済大国です。が、たった人口500万人の、銀行と電子企業の集まった港町です。自国で映画産業を繁栄させるだけの人口も無ければ、かつてはイギリスの植民地であった彼らには、経済的に世界に目を向けることに忙し過ぎたのかもしれません。だからか、シンガポール映画の歴史は極端に貧しい感じがします。50、60年代には、マレイ(語)映画界の大スターP・Ramleeなどで、地域的に繁栄した時期もありますけど、それからは、ぱったりと冬眠期間に入ってしまう。しかし、1991 年に短編映画祭であるSingapore International Film Festival が開催されてから、自国の映画作りの姿勢が変わって来た感じがします。シンガポールは倫理にも厳しい国なのは有名ですけど、映倫であるSingapore Film Commission が出来たのは1998年だそうです。宗教色の強い隣国と較べ宗教や人種の<調和>を大切にすると同時にタブーも多い訳で、現在も国民が何を観ないで何を観るかは、国が決めています。この映画は、シンガポールからのアカデミー賞に<エントリー>になりましたが、ノミネートされませんでした。

この作品の監督は30歳の青年です。これまでは短編を撮っていましたが、初めての長編でこの快挙、素晴らしい。この映画は家族ドラマで1997年のアジア経済危機が背景になっています。10歳のJiale君を含む家族3人共働きの林(リム)家に、フィリピンからメイドがやって来ます。社会経済状態が悪い為にその
煽りを直に受けて、Jialeの両親はストレスが溜まり切っている感じです。その上、母親は妊娠しており、Jialeの両親のどちらも家庭で子供の面倒をみれない上に、祖父母の世話を当てに出来ない(多分最近Jiale君の子守り役の祖父が亡くなった?)切羽詰まった感じが伝わって来ます。ストレスの溜まった両親を見てJiale君は、両親から感じる不安や心配をそのまま親に、学校生活にと、反映して反抗している感じで、母親は、会社での首切り(解雇)手紙を書く執務を抜け出しては、Jialeの学校に謝りに行ってばかりです。この母役の揚雁雁(Yeo Yann Yann)の演技力が注目されましたが、私はこのJiale(許家樂)君とフィリピンメイド役のAngeli Bayaniの、bonding (繋がり)に心を動かされました。嫌な子なんですよ、最初のJiale君は。もう、生意気な嫌な子。母親に代わって子守りを任され、自身の小さな子供をフィリピンの親族(妹?)に託して働きに来ていてるメイドのTerry が、Jialeとむしろ、本当の母ー息子の関係を凌ぐ強い関係を築いて行く。二人の親密な関係に嫉妬を感じる母親も描かれていて、ユーモアに富み、愛に富んだエピソードが沢山紹介されている作品なのです。ひたすら甘美で、慈善的だったら、「素晴らしい」とまでは、私も言いませんけど、両親とJialeを描いて行くうちに、アジア経済危機の時代のシンガポールの汚点や問題が暴露されて行く。それも、淡々と。シンガポールの中流社会の現状。子育てのヘルプとしてフィリピンなどの外国から入って来るナニー兼メイド達。忙し過ぎる両親のメイドへの対応の仕方は、まるで奴隷扱いであり、偏見だらけなんですね。子供達は王様のように扱われている。設定はわざとでしょうけど、特に揚雁雁の母親は、どうしても好きになれなかったです。メイドに対する態度の高慢なこと。自宅に辿り着いてすぐにパスポートを取り上げ、高飛車に物を言い、息子がメイドに生意気で失礼な態度を取っても、戒めない。「息子と部屋を共用しなさい」、なんて、当たり前のように言ってのける。勿体なくて捨てられなかったとみられるドレスを、着いたばかりのメイドに与えるのは、施し、にさえ見えます。が、ユーモアもあるのですよ。後で、Terryがこの古着を着て、Jiale君を心配するあまり母親面して学校に出没したりするのです。

両親とJiale君に<シンガポール(の姿)>を投射している、と主張していた評論家もいた程です。この映画は、観賞後、ひたひたと迫って来る胸の痛みがあります。父親役の陳天文も、メイド役のAngeli Bayani と共にもっと評価されるべき、と思ったほどです。監督の談話に依りますと、監督が子供の頃、理想的な<父親像>と言ったら、陳天文だったそうです。そもそも、Anthony Chen監督は、子供の頃世話してくれたフィリピン人メイドへの思いが強く、その話を描きたかったようなのです。そして、彼曰くシンガポールのこれからには「(社会発展すれば)、国は文化や芸術と云った優しいものが必要」、「物じゃなくて」と。秀作です。


バンクーバー新報:2014年 11月