『A Thousand Years of Good Prayers』 (日本題『千年の祈り』2007 年)


この映画の監督、Wayne Wang、の1982年作品『 Chan Is Missing 』は、たった2万ドルの予算で白黒で撮影した作品であるが、まあメジャー映画だ、と認識する人もいるらしいが、いくらメガヒットしたからって、元は“small & sweet”独立映画作品である。それが、1995年、この映画はアメリカ議会図書館の「アメリカ国立フィルム登記簿」に、「歴史的、文化的、芸術的」な社会への貢献が認められて登記されている。だからって訳でもないが、アメリカ社会のマイノリティー、「中国系アメリカ人」の本来の姿を描いたこの映画、注目に値すると思う。

「アメリカ国立フルム登記簿」の対象は、製作後最低10年経っていなくてはならないが、すでに30年以上経っているのに、全然魅力を失っていないことに、驚きを隠せない。いや、むしろ、当時は「スローで、面白くない」と見たかもしれないが、『Chan is Missing,』と次作の『Dim Sum:A Little Bit of Heart』は、アメリカ人には 今でも十分新鮮だし、アジアンでも長く北米に在住すればするほど、良さが分かる作品だと私は思っている。

『Chan is Missing』の中心人物は、アメリカ生まれのABC(American Born Chinese):中国系アメリカ人、が主人公の設定だが、キャストも、中国系(中国本土系、台湾系、香港系)が入り交じり、日系人が中国系を演じているし、フィリピン人(中華系を含む)も登場する。言葉も、台湾系の話す普通語、マンダリン、広東語などがと飛び交っている。始めの挿入歌は、「(We’re Gonna)Rock Around the Clock」、香港歌手アンディ・ホイ が歌っている。「ステレオタイプ」を自ら笑っているところが、なんとも微笑ましい。たとえ嫌みであっても、だ。アジアンなら誰もが同調してくれると思うが、私は、特に、1)決して急かさないシーン毎のトーン作りと、2)抜群の音楽センスとその使い方、3)上記に述べた独特のユーモア、の3点に於いて、Wayne Wang が凄い、と言える。

Wayne Wang監督も、『the Joy Luck Club』(1993年)などの成功のお陰か、“アメリカ映画監督”と称されているが、17歳まで香港に生まれ育った帰化アメリカ人である。最新作は中国系アメリカ人Lisa Seeの原作『Snow Flower and the Secret Fan』(2011年)だ。この作品は中国のリ・ビンビン、アメリカではGianna Junとして活躍する韓国女優のチョン・ジヒョン他、ヒュー・ジャックマンや、本人も中国人ハーフのハンサム、ラッセル・ワングなどが出演している。実は、私、この作品の方は、ちょっとがっかりしてしまった。上海を舞台にしているのが問題なのか、非常に違和感を感じたのです。これが、サンフランシスコとかロスとかのチャイナタウン、チャイニーズコミュニティーを舞台にしていれば、違ったかもしれない、と思うし、極端に多い英語の台詞のバランスも気になった。綺麗ではあるがリ・ビンビンを主役にした意味も良く分からなかった。ただ、中国人でも、中国系アメリカ人でもない韓国人のチョン・ジヒョンが、良家のお嬢さん役のリ・ビンビンよりも、気品と貫禄があったのが意外だったが、それでも、映画自体の力不足にはがっかりしてしまったのです。どうしちゃったの?と云う感じ。

『A Thousand Years of Good Prayers』に話を戻すが、粗筋は「ワシントン州に住む図書館員で離婚したばかりの一人娘の、離婚からの傷を癒す助けをするべく、Mr. Shiはアメリカを訪れる。娘はロシア人の妻子ある男性と付合っていた。中国から尋ねて来た父とアメリカに生活する娘の対立」。Wayne Wangは、脚本家としての経験の無い原作者(英語で書かれた原作は,李翊雲(li Yi-yun)によるもの)を口説いて、脚本を書かせた、と云う。それは、主人公であるMr.Shi に、彼自身の父親を見たからだそうだ。

この映画も違和感が無かった訳ではない。『Chan is Missing』でも『Dim Sum』 では、感じなかったのであるが、こういう事が気になるのは、私が、英語を話すことで悔しい思いをし、アジアンとしての偏見を味わったこともある経験者、だからだろうか。それとも、より多くの一般観客向けに映画製作をすると云う事は、こういう違和感は、些細な事、どうでも良いとされる為だろうか。1)娘の英語は上手すぎる。2)今時、チャイナドレスを着てデートに出かけて行く人などいないと思う。3)娘はABCに見えても、1世には見えない。4)前の夫は中国人であったはずなのに、家の中の感じが、本国から来た中国人のセンスではない。2世、3世のアパートみたい。

マイナーなことです。肝心な所がしっかり押さえられていれば、気にならない、はずですけど。その上アメリカ人は、字幕を読むのが大嫌いなので、外国作品を観たがらない。字幕を読まなくちゃならないのに、それでも観たい観客には、全く気にならなかった箇所だと、思います。でもですね、言語が握る意味って大きいですよね。言葉で苦闘している我々外国人は、とてもじゃないけど無視出来ません。よね? ハリウッドはその点非常に罪深い。今まで、私達は作られた“日本”“日本人”を多く観すぎて来ましたものね。

でもこの映画は、どこから見ても「Good ,small movie」と呼ばれるべき映画であると思います。彼の映画は、中国系アメリカ人の本来の姿を良く表していると思うが、それだけじゃなくて、特にこの映画は、中国からの父と、アメリカで中国人コミュニテーを外れて生きる娘との衝突、つまりは、社会主義国中国 vs 資本主義な自由のアメリカ、の考え方の対立でもあるのだ。映画の題名 『A thousand Years of Good Prayers』は“百年修得同船渡,千年修得共枕眠”のこと。「縁が私達を一緒にしている」と云う。迷信だ、仏だ、神だ、バチが当たる、お化け、物の怪、などを信じて来たアジアンだから共有する意味が存在する、と思うと、アジアン同士の深い繋がりを、私は感じないではいられない。

それでも、“宿命”と共に生きて来た中国系アメリカ人が、アメリカで生きる事で、これからいつまで、宿命と共に生きて行けるのか、興味深くもあるのです。
そんな事を考えながら、『Chan is Missing』と共にぜひ観て頂きたい映画です。



バンクーバー新報:2012年(平成24年)、10月11日