韓国映画:パート2

韓国映画 パート2

 パク⋅チャヌクはこの後、俗に“復讐—三部作”と言われる『Sympathy for Mr. Vengeance』(2002)、『Old Boy』(2003)そして“『Lady Vengeance』(2005)が続き、すべてヒット作品でした。

 2001年には、パーッと明るい映画が登場します。『My Sassy Girl』(『猟奇的な彼女』と言う題名,良い響きです)。この映画はアジア各地でも上映され、
アジア全体の市場を相手にした初めての映画でした。この作品はアメリカ、日本でのドラマ、そして、ボリウッドでリメイクされました。原作が青年から彼女へのラブレター形式で語られているそうで、インターネット上で話題になった実話だそうです。2005年の日本映画『電車男』もそうですが、インターネット媒体からの小説化、映画化と言う近代発達したパターンの良い一例です。この作品の主人公“猟奇的な彼女”はジョン⋅ジヒョン。この作品の後に、一挙に韓国だけではなく、アジアの大スターになります。日本では、この作品よりも、シリーズ化された2作目『僕の彼女を紹介します』(2004、『Windstruck』)の方がヒットしました。
 
 韓国の身体障害者と、底辺に生きる若者を主人公にした『オアシス』が、ベルリン映画祭で脚光を浴びるのは、2002年です。出演は『力道山』の主人公を演じたソル⋅ギョングと、ムン⋅ソリ。刑務所から出て来たばかりの男と脳性麻痺の女性の愛、と彼らが生きる社会を描いて忘れられない作品となりました。彼らの愛が、周りから理解されない口惜しさ、悲しさ。ムン⋅ソリは、実際に映画撮影前数ヶ月を、脳性麻痺の女性と過ごしたそうですが、その演技は凄まじく、予備知識がなかった私は、本当の障害者を配役したと思っていたほどです。また、
ソル·ギョングはカメレオンのような俳優と言われていますが、刑務所から出て来た男の役の為、がりがりに痩せています。監督はこの作品の後、盧武鉉(ノ·ムション)大統領の文化観光庁大臣を勤めたイ·チァンドン。脚本家,作家でもある彼は、任期を終えて(2003−2004)『Secret Sunshine』(2007)を発表し、カンヌ国際映画祭で、チョン·ドヨンは主演女優賞に輝きました。ヨン様の『Untold Scandal 』(2003)の、彼が落とす若い人妻役を演じた女性、と言えば、分かる方もいらっしゃるかもしれませんが,『Happy End』(1999) の浮気妻、として、私には強烈な印象を残しています。
 
 2003年、カンヌ映画祭で、パク⋅チャヌクの“復習シリーズ”の第2作、『Old Boy』が第2位に入ります。日本の漫画を原作にしたこの作品、近親相姦を扱っています。秀作と呼べる作品だと私は思いますが、こう言う題材の映画を、観客はどう受け止めているのか、いつも興味深く思っています。テレビでは表現出来ない、自宅でゆっくりDVDで見る事を待てないで観に行く映画とは、どんな映画なのでしょうか? これが、観客が見たがっている映画なのだろうか?と。わざわざ映画館に足を運ばせるのが大変な時代に、入っているからです。

 ホラー映画、『A Tale of Two Sisters』は、2億ドルでドリームワークス(1994年に設立されたハリウッドスタジオ。スティーブン⋅スピルバーグも設立者の一人)にリメイクの権利を売却しました。私の好きな、もう一人の監督キム⋅キドックの『Samaritan Girl』(『サマリア』,日本題)が、又、2004年、今度はベルリン国際映画祭で“シルバーベアー賞”を受賞します。彼の映画は、韓国国内ではヒットする作品が少ないのですが、この映画も例に漏れず、少女売春を取り扱っていて、とても一般向けの映画とは言えません。個人的には、彼の『The Isle』(2000年。『魚と寝た女』日本題。タイトルがいいでしょう?)、『Bad Guy』(2001年、『悪い男』)が好きですが、かなり残酷なので、観る事に抵抗を感じる視聴者もいるはずです。また、裸の描写も多いし、セックスシーンもキャンドルの炎の中、ロマンチックにささやく暗闇の二人、なんて、言う事は全くありえませんので、覚悟してください。彼の作品する共通するのは、裸体もセックスも、ポルノを目的にしたものでない為、十分に表現されながら、ポルノから全く遠いものになっているところです。セックスに振り回されている我々人間を笑っているのか、苦笑しているのか、そして、「所詮、人間は動物さ」、と思わせておきながら、無視出来ない不可解な感情の存在を意識し始める。だから、物悲しくなる映画が多いです。しかしながら、最近のキム⋅キドックはその頃の事を思うと、 顔を叛けたくなるような攻撃的な残酷性が無くなって、 優しくなってしまったように思います。

 韓国の“ニューウェーブ”の始まりは、南北朝鮮の問題、国内の社会問題を多く扱っていた点で、日本映画とも、ハリウッド映画とも、違うように思います。始まりから10年以上も経った現在、その傾向が急激に冷め、すっかり資本主義の題材が多くなっているように思えるのは、私の錯覚でしょうか。<続く>

バンクーバー新報:2009年 2月26日