『武士の一分』(2007年)

キムタク(木村拓哉)が主演で、山田洋次の時代劇と聞いて話題にならないわけないですよね。英語の題名は『Love and Honor』です。27年も続いた『男はつらいよ』シリーズで有名な山田洋次監督の“時代劇3部作”の『たそがれ清兵衛』、『隠し剣,鬼の爪』で、この作品、3本とも山田洋次監督がお好きだと言う、藤沢周平原作です。
 
やはり、注目の的は、“キムタクは演技が出来るのか?出来ないのか?”だったはずです。いえ、“キムタクがキムタクじゃない人物を演じられるのか”だったかもしれないし、“キムタクがキムタクのイメージをぬぐい去る事ができるのか?”だったかもしれません。勿論映画出演は初めてではありませんし、なんと言っても、ドラマはどれも大ヒットのキムタクです。よくも悪くも、世間の関心はキムタクにあります。視聴者達は、楽しみにしていたキムタクが相変わらずチャーミングである事に満足し、その上、盲目になった後の演技は高く評価されました。が、ですが、山田洋次監督の時代劇です。主人公、三村新之丞が生きたか、生かされたかと言う事になると、定かではないと感じた人も多いはず。「やはりキムタクはキムタクだ!」なんて声も聞こえて来そうです。フェアーじゃないですよね。美男美女の俳優の演技力を世間がなかなか認めてあげないのと同様、彼の演技力以前の問題がこの映画の配役にあるようです。

結果は、と言うとですね、やはりキムタクのお陰で興行収入は40億円超える大ヒットだったそうです。『たそがれ清兵衛』も『隠し剣、鬼の爪』も海外の国際映画祭などでも高い評価を受けています。『たそがれ清兵衛』などは、構想に10年以上も掛けた山田洋次監督の苦心作で、赤子のようなもの。このまま、国指定の推薦映画になっても少しもおかしくない。広い草原のロケが不可能になっている日本ですから、仕方が無いですが、これも寂しい事です。時代劇を見てもセットばかりで、クローズアップが多いでしょう。将来は中国にでも行ってロケをするのでしょうか?もうしてますか? そして、本当の武士の心構えとか、日本人である誇りとか、慎ましく生きる凡常の人々を描く監督もいなくなるのではないか、とこの作品を見ながら考えてしまいました。こういう映画がヒットしてくれるのは、良い事に違いありません。たとえ、キムタクを目当てに見に行っても、この時間を共有する事が、人々の心を潤わせて、優しくさせて、人と人との間柄を暖かいものにしてくれる、と思いたい。まだ大丈夫だよ、日本、と思いたいです。

山田洋次監督は、社会の逸脱者、ささやかな日常生活を描かせると、今の日本で、右に出る者がいない、とさえ言われています。時代劇の楽しみは“武士道”を垣間見る事ですが、武士である事は、全ての日本人に宿る気質、“大和魂”(と人々は呼ぶ)ではありませんでした。 私達は日本人と言うと、すぐに“侍魂”“武士道”を語りますが、武士は特権階級 でありました。この特権を頂いていた為に、家の為に献身し、武士道とやらを全うすべき、自らを鍛えた人々だったはずです。では何故あたかも日本人気質が“侍魂”であるかのように唱えられるのか? 日本人が想う美徳が武士道につながるからでしょうか? 私達は永遠に“武士”を美化し、理想の“武士”を造り上げて、自らの誇りとしてきたように思います。制度が変わり、武士がいない現世になっても、日本人は理想の“武士”を捜そうとし、“武士道”に日本人の美学を追求して来たようです。山田洋次監督の長い監督生活で、著名な作品には、『男はつらいよ』シリーズ他、『幸せの黄色いハンカチ』、『遥かなる山の叫び声』などがあります。亡くなった父が、『男はつらいよ』を見て笑い、涙を隠して泣いていた後ろ姿を思い出します。

あらすじは、幕末の海坂藩、下流武士であるキムタク演じる主人公、三村新之丞は毒味役。殿様に出す前にその食事の毒味をする係です。ある日、つぶ貝に、当たり失明してしまう。“武士の一分”とは、「侍が命をかけて守らなくてはいけない名誉や面目」だそうです。山田洋次映画の常連、笹野高史の徳平役。妻役の檀れいは、年上妻思わせる存在感ですが、キムタク自身の年齢を感じさせないチャームが返って彼を若く見せていて、損してるかもしれません。脇を固める俳優達も山田洋次監督が求める自然な演技で映画を支えています。小林稔侍、緒方拳などは、.映画にいい味を加えています。坂東三津五郎が悪役で登場。グラッフィックな演出が多い時勢に、品がよく、なのに意味ありげで、坂東三津五郎演じる藩番頭島田藤弥から目が離せませんでした。訳も無く興奮しました。悪役の醍醐味ってこんな事じゃないか、と思うのです。『時代劇3部作』はどの作品にも、ちょい役で味のある俳優達が顔を出すのも楽しみの一つです。時代劇としては、他の2作の方が“役になり切る”俳優が主人公だからか、秀作です。が、キムタクが主演ですから、山田洋次『時代劇3部作』で、一般の視聴者に最も記憶に残るのは、やはりこの作品になってしまうでしょうね。

山田洋次最近作『母べえ』(2008)も好評だったようです。お楽しみに。

バンクバー新報: 10月1日