中国映画:パート1(80年代)

 世界のグローバル化に、追いつけ、追い越せを強いられてしまった形になった中国は、1980年代に社会主義政策から政治的、経済的に進展を図ろうと葛藤する時代に入ります。が、「世界に向け行進!」などと、イデオロギーの方が先行しましたが、中身は社会主義ですから、映画界自体も、奇妙な展開を見せました。

 中国映画を世界的に有名にし、注意の的にさせた功績は、俗に言う“5thジェネレーション”と呼ばれる映画関係者にあります。1982年に北京電影學院を卒業した張藝謀(Zhang Yimou)、 陳凱歌(Chen Kaige)、『The Blue Kite』(1993)の田壯壯(Tian Zhuangzhuang)達が中心人物です。残念ながら80年代の映画は、著作権の問題か、何処でもいつでも観られると言う訳にいかず、著名作品の中、唯一、張藝謀の『Red Sorghum』(1987, aka 『紅いコウリャン』)は観る事が出来ます。これは彼の監督としての処女作でもあります。同等に有名な陳凱歌と言えば、張藝謀がシネマトグラファー(北京電影學院での彼の専攻は撮影でした)として参加した『Yellow Earth』(1984)があり、張軍(Zhang Junzhao)の『One and Eight』(1983)と共に“5th Generation”の始まりをマークすると言われています。1980時代は、社会主義時代に活躍していた“3rd Generation”達は文革や中国文学をテーマに、“4th Generation”は、人々の感情や平凡な人々の日常を描く映画を制作し、そして、“5th Generation”は、文化大革命の神話に挑戦する事から始まったとされ、又、これら3世代が同時に活躍すると云う珍しい時代でもあった訳です。同時に、この時代はタブーとされていた話題、男女間の恋愛(はい、ただの男女間です)、女性の性(せい)などを扱った映画が多く製作されます。謝飛(Xue Fei)監督の『A Girl from Hunan』(1986)が有名です。封建制度と女性の地位を扱ったこの映画は、2才の男の子の嫁となった12歳女の子の話です。革命前の中国の童養(トンヤン、他家の女子を自分の家に引き取って育て、息子の成長を待ち結婚させた)の習慣です。この映画は、若さと性(せい)がギラギラした作品で、心持ち三島由起夫の文学”潮騒“と重ね合うイメージを持っています。女性の立場や性(さが)を扱った映画が増えた事で、女性監督の出現も可能になり、10数人の女性監督の活躍が見られた時代でもあります。
 
 毛沢東の妻、江青女史(文化大革命時代、1961-1972年、映画製作は全て禁止されました。それ以前の映画も鑑賞,上映禁止。文化·芸術は彼女が指導監視しました。この時代は、文化大革命をテーマにしたバレーを、演出撮影した映画だけが製作されました。1972-1974年は「4人組」が指導監視に当たりました。)を含む「4人組」のテレビ公開裁判が開始したのが、1980年の11月。前後して、新疆ウイグル地区での7万人もの青年の反乱デモや、チベット自治区での反乱が起きていました。中国社会全体の“非-毛沢東化”が、1983年の“整党”、すなわち、中国共産党改造運動が訒(とう)小平よって押し進められていきます。「特別経済地区」の指定、沿岸地区14都市の“体外解放”と、1985年の人民公社の解体、中華人民共和国土地管理法が施行、土地の私有化への転換が始まったのは1987年。農民の生産責任制などが取られたため、農民の所得水準は高まりましたが、拝金主義“向銭看”の風潮にすっかり塗りつぶされてしまうことになりました。
 
 1989年、6月4日。天安門事件が、映画をも変えます。
ポストソシアリスト映画とは、プロパガンダ映画以外の何ものでもなかった映画時代の、その後の映画です。天安門以降の映画です。未だに社会主義で、監査が厳しい中国ですから、映画の進歩なんて、期待出来ないと思うでしょう。80年代は都会と田舎の格差が大きく開きましたが、90年代は、大小都市の両方で、国家的基盤にも、社会的な次元に於いても大きな変化見られるようになります。繁栄も加速度を増し、その分だけ都市部のインフレ、都会に流れ込む「盲流」人口の膨張、都市と農村の格差は、それらを別世界のようにしてしまった。誰かが今の中国は“圧力釜”のようだと比喩しましたが、「社会主義市場経済」と言う政治的にも、社会的にも矛盾だらけの世の中が、すでに20年近くもまかり通っているのですから。
 
 映画界も利益を産むのは,娯楽映画、とばかりに、どの国立のスタジオも香港や台湾の製作会社と協力して、撮影所、撮影地、人材などを提供し、現金収益を得るべく対策を企てます。『Ju Du』(1989)、『Raise the Red Lantern』(1991)、『The Story of Qiu Ju』(1992)、『Farewell My Concubine』(1993)『Red Firecracker, Green Firecracker』(1994)などは,中国本土国民にも賞賛されたばかりではなく、欧米での映画祭などで受賞するなど、映画自体も地方色豊かで、伝統や歴史を繁栄し撮影も贅沢で大掛かりな作品が出て来るようになります。そして、上記の作品は、女性に比重をおいて描かれている事に気がつかれましたか? 上の5作品は、1作を除く全てが、鞏俐(Gong Li)がヒロインです。張藝謀監督とのコラボレーションは、1987年の彼の処女作『Red Sorghum』からで、彼女が有名になったのは、彼のお陰、彼の成功も彼女のお陰、とは言い過ぎでしょうが、それこそ、運命の出会いであった訳です。が、彼らの恋愛は、監督が妻子持ちのために、ハレンチだ、姦通罪だと騒がれ、結果として鞏俐は中国本土を追い出されたも同然なかたちとなり、以後は、香港などに滞在していましたが、シンガポールのタバコ王と結婚して、昨年シンガポールの国籍を収得しました。それをも中国本土人は「中国の国籍を捨てた国民的女優」と批難しました。彼女は80年代、90年代の中国女性の鑑みたいな存在だったのでしょう。そう言えば、気品或る上流階級の女性よりも、農夫や村人を演じた方がしっくりしていた女優です。 ·<続く>

バンクーバ新報、11月5日版