中国映画:パート2(90年代)

 天安門事件からが、新しい中国映画時代の始まりです。しかし、すぐに“6th”の時代になりますが、“5th Generation”は終わった訳ではなく、中国映画を世界的レベルで賞賛される映画にした貢献は揺るぎ無い事実であり、まだ、彼らの映画は、時代遅れになるどころか、現在も一般の中国国民にとっては、世界に通用する中国の誇りとして受け止められているはずです。

 1990年代からの映画は大きく3つのカタゴリーに分けられるそうで、1)国が全面支援するプロパガンダの映画•思想映画、2)藝術映画、そして3)商業映画です。3番目の商業映画は、利益を目的にした映画で、中国本土内では“正月映画”(正月向けの映画の事で、12月暮れから、新年の2月頃(旧正月)を目処に公開される娯楽映画)などが当てはまります。芸術映画も、人によっては、2つに分け、1つを“Alternative Films”と呼んでいます。これは“6th Generation” や“Urban(都市) Generation”を中心にした、大概は国営のスタジオシステム外で製作したもので、主に海外の芸術祭で上映、紹介される映画で、中国国民はまず観る事がない映画。代わって“アートハウス映画”は、資本は、海外か国内から得て、国から資金的支援は無いが、その代わりに撮影施設,場所、人材を提供。中国本土だけでなく、海外でも上映されて、利益を得る事を目的にした映画です。小江(Xiao Jiang)監督の『Shadow Magic』(2000) 、王小帥(Wang Xiaoshuai)の『Beijing Bicycle』(2001)などが当てはまるとされています。
 
 “正月映画”では、馮小剛(Feng Xiaogang)監督が有名ですが、コメデイ映画監督として商業利益を上げる事が出来る、中国政府にも受けの良い珍しい監督です。国営の映画学校で学ばずに、テレビの制作に携わりました。90年度半ばから、“正月映画”で頭角を現し、監督だけではなく、脚本家、俳優としても活躍しています。 1997年の『Dream Factory』で、中国本土内で、ハリウッドの映画を押し伏せて監督として脚光を浴びるようになり、その後、アメリカのコロンビア映画社が投資した作品で、ドナルド·サザーランド、ロザリンド·クワン、彼の映画常連の葛优(Ge You)が出演している『Big Shot’s Funeral』(2001)を製作。その後の作品は、『Cell Phone』(2003)は国内でその年の収益一位の映画となり、かつ、クリーブランド映画祭で上映。『A World Without Thieves』(2004)は、香港のスター、劉華(Andy Lau)の他、葛优、李冰冰(Li Bingbing)、レネー·リュー(Rene Liu)が出演し、最初上海で上映、香港では、広東語のダブ(吹き替え)で上映されました。『Legend of the Black Mountain』(2006)は、章子怡(Zhang Ziyi)、周迅(Zhou Xun)、葛优、香港からダニエル·ウー(Daniel Wu)出演で、シェークスピアのハムレットを元に脚本が作成されたそうで、復讐と宿命がテーマです。カンヌ映画祭で国際上映、トロント映画祭でも上映、同時に中国本土内でも各地でも上映されました。タイの国際映画祭でも上映され、アカデミー外国賞に香港映画として出品されるなど各地で受賞しました。そして、最新作『If You Are the One』(2008)は葛优、台湾の舒淇(Shu Qi)が主演の映画で、今年始め中国国内で大ヒット。海外にはまだ紹介されていない模様です。どの作品も大掛かりで豪華、中国語圏のスターを加えた、アジア全体での競争でも同等に勝負出来るだけの作品になっています。

 “6th Generation” と“Urban (都市)Generation”の大きな違いは、前者は、北京電影學院出の都会育ちのエリートであり、比較的、国営の映画スタジオとは良い関係で、国内外を問わず資本を得られた商業主義の映画と云うことです。

 共に“個人的”、“反ロマン”、“現実主義”、中国の資本主義参加のために生じた汚点、弱点にスポットを当てた“秩序の無い”近代の都会化、都会生活の不安、焦燥、混乱、困惑を扱った映画が多く、政府“整党”政策の為に、実験映画などには資金的に援助が無いために、安く速く仕上げる必要が生まれ、ドキュメンタリー製作スタイルが取られ、まさに、前衛映画のようになりました。世界的にテレビなどの媒体に押されぎみの上、近年は、ハリウッドからの映画も年間20本くらい上映されています。センサーシップの厳しさは、変わりませんから、まだ“映画レーティング(等級付け)システム”の無い中国本土でのチョイスは2つ、“一般に公開する”か、全面“公開上映禁止”。真ん中と言うチョイスがないのです。国の撮影許可が出ないと、製作資金も勿論出ないので映画製作が出来ない訳ですから、法外に、許可無しで、個人的に撮影をして、それらの映画を密かに海外に運び出し、編集を終え、世界各地の映画祭に出品すると言う、“ゲリラ映画“が盛んになります。こうして、映画祭に出品できれば、自分の作品も日の目を見る事が出来、そこで、好評を得られれば、次作から、海外からの援助が可能になると言う目論見です。『Lust, Caution』(2007)の場合なども、子供を連れて行った観客もいたでしょうから、顰蹙を買うのは当たり前です。従って、これらの新しい中国映画の映画は、日の目を見る作品が少ないのはお分かりかと思います。先日も、中国人数人と話をする機会がありましたが、“6th”、“Urban”の映画は一つとして見た事も無ければ、聞いた事もない、と異口同音でした。皆さん、『Lust, Caution』(2007)、は見ていましたけど。

 天安門事件から、小平の「社会主義でも、市場経済の参加は可能」と言う「改革·解放」政策基調となり、2001年、12月の世界貿易機構(WTO)への正式な加入を成し遂げました。中国の映画を観る事で、中国の歴史上非常に大切なこの時代の、この過程を、傍観する役目を私達はしている事になりますね。
<続く>


バンクーバー新報12月10日版