タイ映画:パート1

タイ映画:パート1

タイ映画、と言えば、多分、多くの人々は、トニー·ジャー(Tony Jaa)のアクション映画を、真っ先に思い浮かべるのではありませんか。ホラー映画かも知れない。ニューハーフの映画かな?

タイの国の、象徴的な象の存在、米の産地、仏教の国が連想されていくでしょう。国王を元首とし、首相がいて日常の政治執権を行うが、立憲君主制と言う政治制度であり、王は象徴的な存在ではあるが、政治危機では直接政治介入もしている。[タイ式民主主義]と言う独自な政治制度であるが、ゆえに、軍事政権に陥り易く、ご存知のようにクーデターも頻発する国、タイ。そもそも「タイ人」とは、「全てのタイ国籍を持つ者」と近代にはなったが、定義自体が難解である。「タイ民族」が75%ほどを占めているらしいが、マレイ,タミル、ベンガル、マドラス、バーミーズ、ラオ,モンetcと、一口では語れない、と言う。華人は15%ぐらいだそうだが、政治、経済での影響力は多大であるらしい。そのタイの近代の高度経済成長は、一口で言えば、素晴らしい。一時に比べると少し平坦なカーブを描き始めているが、立派な工業国の一国になった。国民の高い教育水準も成功の鍵と言われている。タイ王室と日本の皇室は以前から親密であり、第二次世界大戦後,アメリカからの経済支援の影響か、共産主義は免れている。かつて「農業の国·農民の国」と言われたタイだが、今でも「タイは日本の台所」と、タイ経済史そしてアジア経済論専門家、末廣昭氏は称している。鶏肉、ブラックタイガー海老,冷凍イカ、酢漬けショウガ、パイナップルの缶詰、ペットフード、こんにゃくなど、多くの物が日本に輸入されており、開発事業も盛んだそうだ。タイの歴史上、大きな力を持つタイの王国軍は30万人と言われ、男性は徴兵制があり、2年間の兵役の義務がある。

こう言ったタイの現状を知れば、映画は少し面白くなるし、タイの歴史や、文化、国民性に生に接する事ができれば、映画はもっと面白くなる、と私は思う。上で述べた知識は横流しで悪いが、スクリーン上のオブジェクトが何を意味し、何を暗示するのか、秘密コードを解読したようで、嬉しいものである。オブジェクトは全て、スクリーン上でのランゲージ(言葉)なのだ。そして、映画は夢であり,現実でもある。

タイの最初の長編劇場映画はハリウッドが作成している。1923年の事で、『Nangsao Suwan』と言う。ラマ6世の全面協力を受けて、王室鉄道省、王室
芸能省が関わっている。タイ映画の誕生はそれより以前、1897年、スイス人の映画製作者によって、チュランロンコーン王の行進を撮影したのに始まり、この時、同行していた兄弟であるサンブハサットラ王子は、映画用のカメラを購入して帰国した。ここでも王室が絡む映画の始まりである。現在も王子様の映画監督もいらっしゃいますし、王室無しにはタイを語れないように、映画も語れないタイのようです。

さて、“New Wave”ですが、タイでは、90年代の終わりにやって来た“New Wave”は実は第2波なのです。別称“New Thai Cinemas”と呼ばれ、1970年代の学生運動時期に社会問題に目を向け、インテリ層と学生とで生まれ、彼らのイデオロジーや、視点を表現した第一“New Wave” と区別されています。タイはアジア諸国の中でも、経済的に目覚ましい発達を遂げた国の一つですが、1997年,7月のAsian Financial crisis(アジア経済危機)は、なんとタイから始まります。これと期を同じくするかのように、80年代から90年代半ばまで下降線を辿っていた、廃退の1歩手前まで来ていたと言われるタイ映画が、返り咲いたと言われています。この年に制作されたタイ映画はたった17本だったそうですが、新星群、Renek Rattanaruang, Nonzee Nimibutr, Oxide Pang, Wisit Saranatieng 、Apichatpong Weerasethakul.らの若手監督達と、Tony Jaaなどもこの時期を共にして活躍し始めることになります。

現在のタイ映画界は、一時の香港映画を彷彿させる勢いがあります。特に、
アクション映画。香港は低迷状態が続いており、香港映画のセールスポイントであったアクション映画も、最近は資本も製作も外国で、俳優、製作群は香港で、と言うように、辛うじて、息を繋げている感じがしますが、タイアクション映画は今が旬です。と言っても、ハリウッドのアクション映画の製作規模、本数には到底勝ち目はありませんが、それでも、アクション映画と言ったら、「タイ映画」と名を上げられるようになりました。

急に高度成長を遂げた国にありがちな、大都市と地方が2分化の状態になり、バンコックなどの大都会では、マルチプレックス型の映画館で、ハリウッドの映画を主流とし、芸術作品から個性的な映画迄を観る事ができますが、反面、地方では、今でも、町に1件あるかないか、しかも廃退した映画館しかないそうで、上映される映画は、万人向けの大衆映画でなければ、客員数を確保できない。若者は、雑誌やテレビの方に流れ易いですから。万人受けのフォーミュラ、すなわち、確実に収益を上げる為に、「え〜い。面倒くさい」、考え付く人気集めフォーミュラを全部使え!とばかりに、コメデイ、ホラー、ドラマ、アクション全てを押し込んだ映画を作製する事になります。否、そうして来た訳です。

第一“New Wave”と第2“New Wave”までの時期は、低品質の青少年向けの映画を主流に場繋ぎしていたようです。私は、タイ映画を捜す事は難しく無い現状にいますが、しかし英語字幕が付いていない事には、タイ語の分からない私にはお手上げです。“ New Wave”を理解する上で、このサンドイッチの時期の映画に興味はあるのですが、何しろ低品質ですから、この映画を観る事が出来るチャンス自体が少ないのです。意外ですが、ゲイレズビアン映画のティーンネージャー映画(“Coming of age” 物と英語では呼ぶ)でしたら観る機会が多いかもしれません。多くの人々は、“第2のNew Wave”は,1997年、広告業界からの新星Pen-Ek Ratanaruang監督の『Fun Bar Karaoke』が、海外のベルリン映画際で注目を浴びた事を、“始まり”、とするようですが、Nonzee Nimibutr監督の『Dang Bailey and the Young Stars』(1997)は、その直後地元タイの観客を相手に大ヒットし、映画動員客数の記録を破りました。この間、『Fun Bar Karaoke』はタイ公開上映の許可待ちでしたので、軍杯はどちらに上げるべきでしょうか。

次回は、タイのアクション映画から、ご紹介しましょう。

バンクーバー新報:9月16日付け、2010年