中国映画:パート5

激動の30年。先日見た、やはり“6th Generation”の女監督寧瀛(Ning Ying)の作品『On the Beat』(1995,中国題名:『民警故事』)の中で、「80年代は、結婚してない男女が一緒に暮らしていたら、逮捕されたのに」なんて台詞がありますが、中国の近代化も、天安門事件以降は、同時に愛と性の改革でもあった訳です。

79年には、キスシーンを写した洋画ポスターや、裸婦のポスターが公共の場に現れる。80年代に入ると、婚姻法の改正で、離婚が自由になる。世界でも早い方で、しかも、離婚後仕事を続ける女性が多い。性のノウハウ本が登場。81年には“一人っ子政策”が浸透し、避妊や堕胎が合法化し始める。82年には、中国初めての結婚案内所が登場。85年頃、婚外恋(不倫)、情人(愛人)、做愛(メイクラブ)、試婚(同棲)などの新語が登場。88年には、国内最大級の美術館で初の裸婦画展を開催、18日間で入場客22万人。94年に、都市部にアダルトショップが出来始める。95年に都市部にゲイバーが出現し始める。そして、今世紀、「同性愛」が法的に罰則の対象外になり、「性別選択における個人の権利」と言う事で公安局が性転換を容認する。「未婚の母を承認」して、婚姻年齢に達していて、かつ一生独身を決意した女性には法的保護を保証。03年頃には、初めての“セクハラ”裁判が起こり、インターネットのアダルトサイト氾濫。スワッピング、“ネット婚”、“非婚主義”などが出現する。ざっとリストアップするのも息切れするほど激動していますが、都会と田舎の差がやはり大きくなるばかりで、実際に一般の人々にとっては、性の解放と言うのは遠いところにあるようです。今世紀始めの性社会研究所の調査によると、どんな対象でどんなプール(集まり)か明らかではないですが、「オーガズムとは何か分からない」と回答した女性は80%にも達したと言うことで、「男が主導権を握るべき」と答えたのも67%だったそうです。

中国のゲイ解放も、まだ少数の人々の手にゆだねられているようです。崔子恩(Cui Zi En)は、その少ない旗手の一人ですが、多分国内外で一番有名な人物です。映画監督、映画研究家、脚本家、小説家、そして、公言して止まないゲイ活動家で、北京電影學院の助教授を勤めてもいます。(中国のこういう所は、リベラルなのか、保守的なのか全く理解しかねます。) 本人がアクターとしても出演している作品もあります。なにしろ、オープンです。ゲイフィルムと言ってしまうと、アダルトフィルムと変わらない響きがあるのですが、彼の作品は違います。ゲイの社会とか、生活とかを描いた作品と言うのが正しいでしょう。作品としては、今一つ、ノンフィクション映画としての面白みに欠ける、と私は思ったのですが、如何なものでしょうか?

しかし、中国初のホモセクシュアリィティを題材にした映画が『East Palace, West Palace』(1996)ならば、中国本土初のレスビアン映画は『Fish and Elephant 』(2001)になります。監督の李玉(Li Yu)は、テレビ局のアナウンサーのような事を手始めに、中国中央電視台(CCTV),ドキュメンタリー映画からこの映画で長編商業映画製作に入りました。勿論この映画は、中国本土では公開されていません。が、ともかく海外で公開されたのは事実で、今もレンタルで見る事が出来ます。男性がよもや夢想に耽る美しい女性が二人、なんて言う設定ではなく、リアルなのですけど、あまりにも普通の女性で(美人でもなく、かわいくもない)、裸体も美しく撮ってなかったからか、撮影も雑だからか、どうか、演技の点でも『East Palace, West Palace』の方が数段上ですが、低コストで撮影されている割には、しっかりした何かを持っている作品です。

実は、後にこの女監督は、『Lost in Beijing』(2007)で中国でも大きな反響を得ます。『Lust, Caution』(2007)と同じく、ヌーディティと、セックスシーンの描写が批難の的で、ギャンブルシーンを含む多くのシーンがカットされても、中国政府から許可が降りず、結局2008年に、上映禁止になりました。が、ネットのオンラインで、『Lust, Caution』となんと2本立てで見る事が出来たそうですから、中国の観客もラッキーです。中国政府もこれだけ、インターネットや、海賊版の映画とかが、氾濫している国ですから、もう管理したくても管理し切れない時代に突入してしまっているのかもしれません。香港の梁家輝(Tony Leung ka-Fai)が中年の足マッサージサロンのオーナーの役です。台湾の金燕玲(Elaine Jin)が、子を産めない妻。范冰冰(Fang Bingbing)が地方出身のマッサージ師役です。何と言っても 梁家輝と金燕玲の二人の存在感と、演技力が光っています。特に、一緒に人生を歩んで来た夫婦、それも、対等に渡り合って財を成して来た夫婦間の愛、哀しみとかが、伝わって来ます。体当たりの演技をした、と言われた范冰冰ですが、感情の点から言えば、そんなに難しい気質の女性役ではないですから、セックスシーン以外に見せ場が無かったような気がします。彼女より、若い夫役の佟大為(Tong Dawai)の方が演じるのは難しかったかと思いますが。なにしろ、中心の4人のキャストの演技力で見る映画で、ストーリー的には飲み込めない点も多いのは、私だけが気がついた点ではないようです。中国内では、演技力よりもまず、悪名高き過激な性描写、痛烈な社会批判含む映画内容が注目されたようです。映画界内では“アンダーグランド映画”として、商業映画との境界線を無くした作品と評価されているそうです。この作品の前には『Dam Street』(2005)があり、四川省の小さな町を舞台に16歳にして妊娠して出産する主人公。教師である母と看護婦である姉が嘘を付き、産まれた子供を養子に出してしまう。だか、10年後、今は地元の小さな劇団で歌手として生計を立てる主人公の前に、養子に出した男の子が現れる、と言うあらすじです。いくつかの映画祭で賞を取っていますが、 毛沢東亡き後の中国で、伝統を打ち破ってしまいながら、流れに立ち向かう事をしない主人公の無力な存在に、少し苛立を覚えました。

 李玉(li yu)監督の他、独断と偏見でご紹介したい何人かの監督を選びました。それは、また、次回に。<続く>

バンクーバー新報: 2010年,3月25日