中国映画:パート7

 近代化、都会化が進むと、その反対のベクトルが動き出すようで、最近の映画に、内蒙古や、チベット、あるいは少数民族を題材に選んだ映画が出始めました。章家瑞(Zhang Jiarui)の『When Ruoma Was Seventeen』(2002)は、雲南省のハニ族の女の子が、都会から流れて来た写真家に恋心を抱くと言う、初恋青春物語です。7歳の男の子が主人公の『Mongolian Ping Pong』(2005)は、“6th”の寧浩(Ning Hao)監督の作品です。美しい自然と草原での生活、政治的な色は全くない、大変スイートな作品です。ほとんどの出演者達も素人。ですが、彼らの日常生活は、私達にとっては、好奇心全開の新鮮な発見にさえ見えます。それでもこの映画、中国本土では一般公開されていないようです。陸川(Lu Chuan)監督の『Kekexili; Mountain Patrol』(2004)も舞台はチベットです。王全安(Wang Quan’an)の『Tuya’s Marriage』(2006)は、ドキュメンタリー度が一番低く、慣習、システムの描写は直接社会批判にはなってはいないが、結果的に十分すぎる批判になってしまっていると言いますか。後味の良くない終わり方もハッピーエンドには見えません。あらすじは、内モンゴルの草原でラクダに乗って羊飼いをするツヤは、腰を痛めてしまって肉体労働が出来なくなった夫と二人の子供を養う為に、夫と離縁して、新しい婿探しを始めます。条件は一つだけ、前夫をも養ってくれる人。この作品は、海外でも高い評価を得ました。ベルリン映画祭の金熊賞受賞、中国作品として3本目と言う光栄な結果です。ちなみにそれらの作品とは 張藝謀(Zhang Yimou)の『Red Sorghum』(1987)と、謝飛(Xie Fei)の『Woman Sesame Oil Maker』(1995)でした。
  
 少数民族の生活、地方の生活に、素朴な生活ながら善に生きる事を誇りとしている人の尊厳、と言うのが見えて来る気がしませんか?中国人の誇りだった気質とはなんであったのか?を激変している都会の住民に問いかけても答えは出ないかもしれないが、地方の山奥なら、片隅になら、まだそのまま,時間に左右されずに息づいているはず、と考えるのは私だけではないでしょう。朝鮮族の張律(Zhang Lu)監督なども出て来ていますし、俳優にもモンゴル族や、少数民族の血を引く人とも出ていますので、これからとっても楽しみです。

 さて、北アメリカでもドキュメンタリーが、アートハウス劇場とか、一般の劇場でも公開されるような時勢になりました。最近まで「ドキュメンタリーでは食べて行けない」、と言われていたのですが、今はドキュメンタリーだけで、少数の人々は生計を立てて行けるようになっているようです。私の知人にも何人かドキュメンタリーを撮影している希少な人がいますが、テレビの仕事をしながら、空き時間で好きなドキュメンタリーを撮る、と言う人がほとんどでした。ケーブルテレビのため、チャンネルも多くなりましたから、供給口もあります。過去20年、中国の“裏”映画界(対する中国政府コントロール下の映画界)が、リアリズムを求めて来た結果、多くのドキュメンタリー/フィクション(俳優はほとんど素人とか,撮影許可無しのゲリラ戦法とかで))映画や、ドキュメンタリー映画が撮影されました。これからは、やはり、まだ中国本土では、上映されなかったフィクション映画や、ドキュメンタリー映画が、北アメリカのケーブル局などでも紹介される機会が多くなって行く事でしょう。それに伴って、中国本土でも鑑賞出来る人口が増えて行く。
 
 プロパガンダ映画:思想映画の事をちょっと話しておきたいです。馮小寧(Feng Yining)は戦争映画を多く撮って来た監督ですが、先日見た『Purple Sunset』(2001)は戦争反対映画で、『A Railway In The Cloud』(2007)は、北京とチベットのラサを結ぶ「青海—チベット鉄道」を建設すると云う話です。愛国色がムンムンしているのが、ちょっと引いてしまう欠点と云えば欠点ですが、そこだけ目をつぶれば、なかなか良い作品でした。プロパガンダ映画には間違いないのですが、目の前にある目標を達成しないではいられない人間の意志の強さ(あるいは、愚かさ?)が、30年掛けてやっと遂げる目標を持って、それも、完璧以外を許さない主人公の技術者が、民工(ming gong)(農夫がお金のために出稼ぎに出て工員として働く)を引率して達成にまで持って行く過程が、描かれています。そこには、愛国心、中国人の誇りが描かれています。この映画を見ながら、何故か私は日本の黒部ダムを題材にした映画を思い浮かべました。こういう映画は愛国心とか、それ以前のところで、一つの目的の為に汗流して働く人間のロマンがあり、それは、元をたどれば、国のためとか、税金で資金を払ってくれた同朋とか同志のためではなく、自分自身の誇りのためであり、生き方の証明以外の何ものでもないと。また、監督本人の言葉を借りれば、「子供達は歴史の過程を知るべきだ」と戦争反対映画について語っていますが、プロパガンダ映画も現代人に、特に子供達に、中国の歴史や物事の価値、中国人としての誇りを教えると云う、大切な任務を持っている事を否定出来ないのです。

 中国国内でも、海賊版の映画はかなり普及しているし、インターネットでの暴露(?)上映と言う方法もありますし、猫とネズミの追っかけ合いじゃないですが、取締法も緩和されて行くに違いありません。7年の映画製作の中止をくらった中国の名優の一人、姜文(Jiang Wen)なども、さすがに映画製作は公表にしていませんが、俳優としての仕事は続けています。いいことなのか、悪い事なのか、そんな事より、中国政府がコントロール出来なくなってしまう前に、まずは海賊版を押さえる方法を考えねば、世界からの圧力も大ですし、止められないなら、規制した方が面目も失わずに済むのではないか、と考えますが、如何なものでしょうか? 中国本土で公開されていないが、海外の映画祭を通して、外国に紹介された映画は、どれも、これも、中国の内情のあらゆるコーナーを見せてくれています。外国人の方が中国本土人よりも内通しているかもしれません。それが、いつの日か、中国本土でも、自分たちが眠っている状態に、政府が片目をつぶっている状態に、嫌気が差し始める日もいずれはやってくるでしょう。天安門事件から20年、文化大革命から30年、世界貿易機構(WTO)加入から、8年。中国の現代映画ほど面白い映画はない、と思います。<完>

バンクーバー新報 2010年 5月20日