タイ映画:パート4/アピーチャットポング ウィラーセタクン

現代タイ映画第2“New Wave”の映画監督達で、外国で知名度が一番高い人物は、今年のカンヌ映画祭で、「パルム・ドール」最高賞を受賞した『Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives』(2010年、 日本題名『前世が見えるブンビおじさん』)の監督、アプチャポン・ウィーラセタクンではないか、と思います。Apichatpong はaa-pee-chat-Pohngと読むそうですから「アピーチャットポング」になりますか。

今回の彼のカンヌ国際映画祭でのパルムドール最高賞の受賞は、タイ国人にとって予想外だったと思われます。彼の作品は芸術作品と見られる事はありましても、大衆映画としてタイ国民に愛され,受け入れられている作品ではないのです。その上、彼は反政府の立場を隠さず公言する人物だそうで、タイ国民には反政府支持者としての彼が、彼の映画よりも、有名のようです。彼の政治批判は、彼自身が北部の穀倉地帯の出身であることから来ているようです。彼が生まれ育ったKhon Kaen地方の言葉はラオ語に近い方言だそうで、彼の映画の出演者達が話す言葉は、タイ語の字幕付きでないと、バンコク市民にも分からない、と云うことです。お米だ、ブラックタイガー海老だと言っていた農業国タイも、現在は、経済学博士の末廣明氏のターミノロジーをお借りするところの「中進国」(新興工業国)であり、重工業が中心の経済大国の道を歩む国だそうです。アプチャトポングの両親はバンコックの医学部を卒業したエリートですが、医師として北部のKohn Kaenの病院に勤めていたため、彼は米作農業地域のこの地に生まれ、農業地帯の人々に共感を持って、ローカルとして育ったことになります。彼の政治批判は、経済が順調なのに、そこに機会を与えられていない「田舎の若者の欲求不満」から生まれ、「貧しき者達が立ち上がる時期が今やっとタイにやって来た」、と見ているようです。『Uncle Boomee Who Can recall His Past Lives』、そして彼の今までの作品のどれも、直接的には政治批判の映画ではありませんが、彼の生まれ育った北部の農民達への同情、共感が、バンコクの都会人の生活をさげすみ、みくびりを感じているようだ、と評されており、本人も田舎者としての劣等感を、最初にバンコクに出た時に感じたと告白しています。

彼の作風スタイルは、実験映画のようで、見終わると、不思議な感じがします。夢が表現されているようなシーン、台詞無しなのに、紙芝居のように台詞が画面に出たり、クレジットが映画が始まって暫くしてから出て来たり、出演者達は素人のようで、演技をしようとしていると云う様な小細工がありません。打ちっぱなしの壁を想像して下さい。演技をしている、と言うより存在している感じ。夢のシーンは、“死”が暗示され、人間が虎になって戻って来る。まさに“知覚”体験のようだ、と称されています。

彼の代表長編映画は、『Mysterious Object at Noon』(2000年)、『Blissfully yours』(2002年)、『The Adventure of Iron Pussy』(2003年)、『Tropical Malady』(2004年)、そして『Syndromes and a Century』(2006年)。現在は『Utopia』と言う映画を制作中のようです。長編映画は『The Adventure…』を除く他全ての作品は北米ではDVDとして鑑賞出来ます。

『Mysterious Object at Noon』(2000年)の海外初のお披露目は、バンクーバーの国際映画祭でした。その後世界各地の映画祭で賞を取っています。シュールリアリズムの“優美な死骸”スタイルで、16ミリカメラで、タイ各地で3年掛けて撮影されました。“優美な死骸”とは、「インタビューして、その話から次の展開が起こって来る映画の撮り方」です。子供の遊びに「最初に頭を描き、そこを折り曲げて見えなくしてから、別の子供が体を描き、また折り曲げて見えなくして、又別の子が足を描く遊び」がありますが、即ちこれが“優美な死骸”こと“Exquisite Corpse”です。撮影はドキュメンタリー方式で実験的です。2002年の『Blissfully Yours』は、ミャンマーからの移民の男ミンが、発疹に悩まされ、彼のタイ人のガールフレンドとその友人が、医者に連れて行く。その後、彼らは郊外の森に出掛けると云うそれだけの話です。コメデイタッチで森での遭遇の場面が表現されたり、蟻が食べ物の付く、なんてシーンもあります。この作品は、カンヌで“Uncertain Regard 賞”(なんとも面白い賞名で、ぴったりです)を受賞しています。2004年の『Tropical Melody』は、カンヌの“審査員賞”を受賞。タイ映画として、初めて一流の国際映画祭で受賞と云う名誉を受けました。この映画は同性愛の男二人が主人公の映画で、やはりタイ特有の迷信や、言い伝えが各所に描写されています。シャーマン祈祷や虎も再び登場します。再びのカンヌでの上映も、途中で席を立ってしまったりする審査員たちや、たとえ終わりまで見ても、酷評を出されたりしたようで、アメリカの映画専門誌でさえ、皆ソッポを向いたのですが、最終的に、意外な受賞となりました。審査員会はアメリカ映画監督のクエンティン・タランティーノが率いていたそうで、この賞の受賞後は、この映画を好ましく褒めたたえる評の方が圧倒的に多くなったと云うことです。映画界の奇才が“傑作”と言い出したら、皆が争って「そうだ」と言い出した、そんな感じ。

『Syndromes and a Century』(2006年)は、ベニス国際映画祭で初上映されました。タイでは、国の映論に当たる検閲院から、一般公開するなら「仏教僧、医者の過激な描写を考慮する様に」、と厳しいカット要求を出され、それを拒否し上映を諦めます。が、「国に映画を上映禁止させる権利はあるのか?」、と抗議すべく立ち上がったアピーチャットポング・ウイーラセタクンは、他の監督達と共に“Free Thai Cinema Movement”を結成して、タイ政府に抗議します。しかし1930年に設立された映画選定法に取って代わる法律が必要だったタイでしたので、結局、法は通ってしまいます。2008年の4月に一般公開がたった1映画館でされた時に、彼は、検閲されたシーンを、ただの黒いブランクと入れ替えて、音も付けないで、上映しました。彼なりの抗議だったのです。結果的に、やはりと云うか、夢の様なシュールな不可解な内容に、一般タイ観客達は付いて行けなかったようですが、「この映画は、私達の気持ちのことを表したのさ。愛だけじゃなくて、記憶っていうのかな、心に永遠に刻まれた気持ち、かな。」と監督の談。「医者の両親の話として撮影し始めたけど、そこから広がって行った」とも話しています。海外での彼の評価は上がるばかりで、2007年度の“ベスト映画”に北米、イギリスなどで、選ばれたりしています。

そして、『Uncle Boomee Who Can Recall His Past Lives』のカンヌでの今年の[パルム・ドール]受賞です。快挙って呼びましょう。彼の作品全て、幻想的、不可解、夢の如きシュールさです。そして、何故か記憶に残るのです。或る評論家は、「音楽を聴いているようだ」、と表現していますし、「彼の映画を鑑賞することは、すなわち感性の体験である」、とも絶賛されました。私も、正直何回も見て、それでも、良い映画なのか、そうじゃないのか、分からなかった、と告白しておきましょう。それでも、彼の作品は鮮明に残る。どの作品が好きだったかって?『Blissfully Yours』かな。コメデイタッチだったから。

<つづく>


バンクーバー新報:2011年 1月6日付け