タイ映画パート5:New Thai Wave

1990年代後半、アジアの経済危機と時期を共にして訪れたタイ映画の“New Wave”。
この動きの中心になった人物達の内の3人は、テレビCMの世界から出ました。Nonzee Nimibutr(ノンスィー・ニミプット)、Pen-Ek Ratanaruang(ペンエーグ・ラッタナルアーン)、そしてWisit Sasanatieng(ウィシット・サーサナティアン)です。

中心人物として、3人が多いのか少ないのか、国外に著名なのは他2、3人の名前が上がるだけですから、コマーシャル映画界が大きな貢献をした事は、間違いないでしょう。繁栄期とは、商業ベースに載ることでもありますから、重視すべき要素だと思います。

アメリカでは、まだ観る事が出来ない作品『Fun Bar Karaoke』(1997年)は、同年のベルリン映画祭で上映されたペンエーグ・ラッタナルアーンの作品です。タイの映画がベルリン映画祭で上映されたのは,本当に久しぶりだったそう。タイの観客は、それから半年程待たされて、この映画を観る事になりましたが、大きな成功を収めたわけではなかったようです。が、この時に、“New Wave”が動き出した、と見る評論家が多いようです。

この映画を追うように、ノンスィー・ニミプットの『Dang Bailey and the Young Gangsters』(1997年)が発表されました。これも、アメリカでは未公開ですが、ノスタルジア、望郷溢れる作品だそうです。『Fun Bar Karaoke 』が奇妙な映画なら、こちらは、ノスタルジア。そして、香港生まれでタイ広告業界畑出身のオキサイド・パンの『Who is Running?』(1997年)が出ました。目立つ“イメージ”が勝負のコマーシャル業界ならではの、社会や政治の匂いのしない“現実”表現、と言ったら良いでしょうか、実験的であり、観客にアピールする事を目的に、ものを売る為の映画(とはオーバーかもしれないですけど)、が生まれたわけです。ファショナブルな表現、かつ、売れなきゃ、受けなきゃ、トレンデイでなきゃ、作る意味がない、と云う、売りの専門家こと、コマーシャルフィルム界の新鋭が中心になった。これが、“第2New Wave”であり、別名“New Thai Cinema”であろうか、と思います。

ノンスィー・ニミプットの作品は、アメリカでは、今のところ公式には4作だけが紹介されています。通説では、彼はタイの“New Wave”のリーダー的存在と見なされており、作風も、コマーシャル映画、ミュージックビデオの業界出身にしては、ドラマ技法が強い感じ。『Nang Nak』(1999年)は、伝説に基いたゴースト(お化け)の話です。タイの人々に長年言い伝えられた伝説ですが、この映画を見ると、タイ人の、理想の愛の形、を見るようです。他国のゴースト作品と見比べますと、死んだ“愛する人”が戻って来る、と言う話が多い様に思います。日本で言えば、魂が成仏しないで生きている人々の周りをウロウロしていると言う様な事が、日常的に言われている様な気がします。同じ仏教国だからでしょうか。『Jan Dara』(2001年)は小説が題材になっています。この作品は、すごくセクシーです。いや、エロチックかもしれない。美しく撮影されていますし、香港女優Christi Chungが、これまた美しい若い甥が恋い焦がれる、おばの役です。この映画は、1930年に発布された“古い”映倫規制なるものに挑戦した、と言われています。中心人物たちは、モデルの様に美しい人々ばかりで、夢を見せられているようです。お話が、富豪の家庭のハレンチな家族関係、ソープオペラか、“よろめき”ドラマのようですし、強姦、堕胎などまで描かれた上に、セックスシーンもすごい、なんて言ったら,古い社会はひっくり返りますから、この映画がどれだけの口をあんぐりと開けさせ,顎が、がく〜んと下がったかを考えて頂くのも、また楽しいかと思います。が、やはり、美しく撮影するのに凝り、中心人物達が、美し過ぎるためか、大作と呼ぶには、何故か「今一つ物足りなかった」、と感じてしまうのが残念なのですが。それでも、休火山状態であったタイ映画界を、“衝撃”で目覚めさせた作品ではないか、と思いますし、アジア圏からの俳優の起用、資金の奨励などと、この映画が、タイ映画産業の“リバイバル”のきっかけになっているのは、まず間違いないか、と思います。

監督として多作に見えるペンエーグ・ラッタナルアーンの作品も、アメリカでの公開作品は、まだ4作だけ。第2作に当たる『Ruang Talok 69(6ixtynin9)』(1999年)は、1999年度のアカデミー賞参加作品です。ジャンルは犯罪コメディになっていますが、ははは、と笑える映画ではなかった、と記憶します。ブラックコメディ。その後、私は浅野忠信が主演の映画『Last Life in the Universe』(2003年)を見て、タイ映画のコンピューターグラッフィックの浸透に驚きましたが、やはりゴーストがらみの、神秘さが手伝って、「不思議な映画」、と感じたものです。この作品には日本映画の奇才三池崇史がちょい役のヤクザで出ていたそうで、しっかり見逃しておりました。やはり、2003年のタイ国選出アカデミー賞参加作品だそうです。浅野忠信はこの作品で、ベニス映画祭で最高男優賞を受賞しています。ペンエーグ・ラッタナルアーンは、ニューヨークの芸術大学プラットで勉強、8年以上ニューヨークに在住し、イラストレーターやデザイナーとして働いていたそうです。同じ時期にニューヨークにいた私としては、『Fan Bar Karaoke』(1997年)が、まだこちらで、見る事が出来ない事が残念でたまりません。タイは日本と、貿易で相互支援の強い関係がありますから、ひょっとすると、ここ北米よりも、もっと多くのタイ映画が見られているかもしれませんので、チェックして欲しいものです。

ウイシット・サーサナティアンの『Tears of the Black Tiger』(2000年)は、タイ映画のカンヌ選出作品第1号です。この作品は、劇画の様な、鮮やかな色彩が印象的で、実験的、コマーシャル的、コラージュ的って云う奇妙なバランス、いや、アンバランスが魅力的な作品と言えるかもしれません。ピップな事には違いないでしょう。ペンエーグ・ラッタナルアーンが同僚だったThe Film Factory と言う映画会社で、アートディレクターをしていたそうです。ラングゥラージーンズなどの広告を担当していたそうですから、ヒップだったはずです。その時のモデルが『Tears of the Black Tiger』(2000年)の主演俳優です。この作品は、彼のデビュー作品でもあります。漫画家、イラストレーターでもあるためか、非常に鮮やかなビビットな作品に仕上がりました。グラッフィクアートの動画みたいでもありますし、漫画の様な感じでもあり、ウェスタン映画ですから、やっぱり、ポップ芸術的な匂いがする映画です。彼は、また、脚本家としても、他者の作品に参加していると言う人物でして、ノンスィー・ニミプットの『Dang Birely’s and Young Gangsters』、『Nang Nak』の脚本を担当しました。アメリカで鑑賞可能な作品は3作のみ。2004年の『Citizen Dog』も、『tears..』と同じくロマンチックメロドラマがストーリーですが、もっとカラフルな作品です。ナレーションには、ペンエーグ・ラッタナルアーンが担当していそうです。人生のパートナーであり、仕事の上でも同志である、奥様のKoynuchの小説が素材になっているそうです。

コマーシャルの力って一時のカラーフィルムのような力があるように、思えてなりません。汚いものも美しく撮れてしまう、と言うか。その上、色彩や、デザインに敏感な才能が画面を構成すると、こんなにカラフルでポップで、悪く言えば、非現実で、夢のように、なってしまう。でも、開眼しますよ。70年代のサイケデリックともまた、違う感じがするのも、不思議な世界に誘い込まれる要因でしょうか。

<続く>

バンクーバー新報:2011年 1月27日付け