『ゆれる』(『Sway』2006)

きっと『蛇イチゴ』(2002年)が観たくなります。西川美和監督の第一作。『ゆれる』は、第2作目です。主演のオダギリジョーが、『ゆれる』の脚本を「完璧だ」、と賞賛していますが、1作目も2作目も脚本も監督自身が書き下ろしています。2作目と言っても、それまで是枝浩和監督(『誰も知らない』)や諏訪敦彦監督などの現場などに携わっていました。法廷でのシーンが、かなり長いので、“法廷ドラマ”と思われがちですが、西川監督自身も評しているように、“感情、人間関係の不確かさ”を扱っています。“不確かな”関係の兄弟に香川照之とオダギリジョーの兄弟。堅苦しい台詞は一個も無い、そんな作品です。

家族、それも、兄は田舎に残り、家を継ぎ、その弟は、東京でカメラマンとして活躍している。母の1周忌に久々に田舎に帰って来る弟。幼馴染み、それも、東京に出る前に関係のあったと思われる(?)女性が、今は父親のガススタンドで働いている。そのスタンドにはいい歳をして独り身の、弟や家族の犠牲になり損ばかりしてきたような兄がいて家業を継いでいる。今は幼馴染みに惚れているらしい、と弟は確信する。幼馴染みを送って行く弟。嫉妬か嫌がらせか、弟は幼馴染みと寝る。ここから狂い始める兄弟の関係。あらすじを載せると、ネタバレなんて言われてしまうのですが、「次は何が起こるだろうか?」と言うサスペンス映画では無いので、構わないでしょう。ところが、主人公3人のそれぞれの視点があり、そして、私達観客は映画が終わってしまっても、真実が分からないまま、と云う、なんともはっきりしない映画です。が、この映画の魅力は、実際は何が起きたのか?ではなく、兄弟の気持ちの変化、“揺れ”を描いている。そういう点で、法廷映画でも無ければ、ミステリーでもない。はっきりしなくても全然いい、映画です。それよりも、真実よりも大切な事がある、を教えてくれる映画です。

この映画の魅力は、脚本です。兄弟の事を描きながら、女性が書いていると言うのもすごいですが、ストーリーを語る、と言う意味での脚本の出来は、1度も
脚本を組み立てた事がなくても、その出来映えに感心するはず。この作品のストーリーの組み立てられ方は、監督の夢からヒントを得たそうですが、それでも、このストーリーに組み立てられた過程に才能を感じずにいられないはずです。そのぐらい、脚本が素晴らしい。その上、台詞も、ドキッとする様な選択で、それも、男女間で交わされる台詞が素晴らしい。

 そして、やはり、主演の二人の俳優でしょう。オダギリジョーが、故郷を捨てた弟、いい加減な人間を楽々と演じています。映像では、彼が全てを見ていたように受け取れるようですが、彼が、本当は何を見たのか?は不鮮明であり、監督のカッティングとインサートからだと、非常にあいまいになっているので、意図的なのでしょう。 家族と言う親密な絆の間で“ゆれる”兄弟。 そして、裏切りをするのは、実はどちらでもなく、二人共、なのかもしれない。いや、二人とも真実を話しているのかもしれない。兄を演じる香川照之は、中国映画『鬼が来た』(2000年)で日本兵捕虜として、素晴らしい存在感で世界に知られるようになった俳優です。中国、韓国でも知名度の高い俳優です。この題名も“鬼子”は日本兵のことですから、明らかに、反日感情の強い映画に出た訳ですが、日本兵を彼が演じることで、深みを増し、鬼でもなければ、天使でもない中国映画の日本兵が誕生した。ここでの彼は、非常に妬み深そうに描かれ、“重いよ”、と女性から云われてしまいそうな真面目で、常識的なうさん臭い男を演じています。だから真木よう子演じる幼馴染みに同調しちゃうでしょう。こう言ったねっちりした好意を示されると「うざいんだよ」とばかり、嫌味の一つや二つ出てしまいそうですし、実際こういう男性いますよ。替わってオダギリジョーは、不良な男。都会の匂いのする悪い男。でも、セクシーです。だから、彼女捨て身だと頭で十分理解しても、多分、彼に夢を見てしまう。

香川照之演じる稔が洗濯物を畳むシーン、オダギリジョー演じる猛が幼馴染みとベットを共にするシーンは私のお気に入りのシーンです。父親役の伊武雅刀と叔父役蟹江敬三の関係も,オダギリ、香川兄弟の関係、一人(多分長男は)は田舎に残り家業を継ぎ、他の兄弟の犠牲になり、その恩恵を被った弟は田舎を出て夢を追う、に酷似しており田舎育ちの兄弟のありがちな関係を描写しているようで興味深いです。ガソリンスタンドに勤める男役に、荒井浩文。法廷では裁判長が田口トモロヲ、検事役が木村祐一。キャストも魅力です。決して贅沢な作品ではありません。が、秀作です。