『愛のむきだし』(『Love Exposed』2008年)

監督は、園子温。詩人である。17歳で「ジーパンを穿いた朔太郎」と呼ばれたらしい。
「詩的ね、」などと云えば、ロマンチック、ファンタジーなど連想するだろうが、この監督の著名作品は、どれも“エロ、グロ、バイオレンス”で、辺り血の海が多かった。個人的にはエログロは嫌いじゃないけれども、バイオレンスや、血の海は苦手。目をつぶってしまうので、正視出来ない。だから『愛のむきだし』を観た時に、血だらけシーンは2シーンだけだったので、拍子抜けしてしまった。恐怖から解放されると、人は笑う。でも、この映画は、面白い映画なのです、文句無く。保証する。

「映画はテレビでは放映できないものをやるべき。映画館の黒闇のなかで見せる、見世物、お化け屋敷みたいなもの。」なんて発言をなさっている。園子温監督は、日本映画界の期待の一人と、疑いませんが、日本映画界に闘いを挑む異端児、否、ヘルライザーかな。「心臓がドキドキしてしょうがない映画を撮り続けたい」と云う。

映画『自殺サークル』(2001年)、『Strange Circus奇妙なサーカス』(2005年)、『紀子の食卓』(2005年)『エクステ』(2007年)、『冷たい熱帯魚』(2011年)などは、ホラー、ゴアー、血しぶき(スプラッター)の映画だ。訴えてくる力は強いのに、何故血の海の映画にしちゃうの、と憤慨していたくらい。が、その監督が、血の海をほぼ放棄して、この映画『愛のむきだし』を撮った。キリスト教vs新興宗教、盗撮、禁欲vsセックス、愛vs勃起、家族、近親相姦、レスビアン、などの要素を付け加えて行ったので長くなってしまった、と云う。もともとは、6時間くらいの映画だったと云うから驚きです。上映に支障が出るので、これ以上短く切れない所までカットしたけど、上映時間237分。が、時間の長さは感じないくらいエンターテーニングな、コメディになりました。

監督の言葉を借りますと「「愛のむきだし」は、[むきだしの愛]ではなくて、“物”“愛という物質”。“物としてむきだされた愛”が“勃起”、“パンチラ”、“盗撮”、“カーチェイス”、“喧嘩”として形を変えて、“物”として溢れだす。」、純愛かどうかは、観る人が決めるだろうけど、愛の映画には違いない。

この映画は、監督自身の友人の実話が元にされている。新興宗教から妹を“脱会”させて“こっちの世界”に取り戻した、盗撮を愛し“盗撮のカリスマ”とさえ云われた男の話だ。粗筋は、「クリスチャン家庭に育ったユウ(西島隆弘)は、亡くなった母の“マリア様のような人を見つけなさい”を忘れずに生きている高校生だ。優しい神父の父(渡部篤郎)は熱心なクリスチャンだが、愛情表現むきだしの女、カオリ(渡辺真起子)に誘惑され,教会を出てカオリも含めて3人で暮らし始めるが、カオリはすぐに飽きて出て行ってしまう。ショックで性格が豹変した父は,ユウに毎日“懺悔”を強要する。父を喜ばせる為に毎日“罪作り”に励まなくてはならなくなり、盗撮に走るユウ」。その後,ユウはマリアに会い、コイケの出現で新興宗教が絡んで来て、映画がスタートして58分後くらいに、やっと『愛のむきだし』の映画タイトルが現れる。

長いことは長いが、テンポもカットも歯切れが良いし、編集が良いし,くだらないジョーク無しの完成度の高い脚本ですし、長いけど、苦痛じゃない。退屈でもない。中味の濃い映画です。何しろ、笑い、おお〜と叫び、ぎょっとした。惹き付けられるとはこういうことなのだろう。ちょっとボイスオーバーが多いのに気がつきますが、これも、他の映画では気になるのに、全然嫌じゃないのは(フィルムスクール出の私には、画面が付いて行かない時に苦肉の策としてボイスオーバーを使う、と云うイメージが強いので)、カット数が多く音楽の使い方が素晴らしいからかしら。「ロックとクラッシックを融合させたい」なんて発言をなさっていますが、映画って目と耳で楽しむ媒体なのですよね。そんな事は分かっているはずでしたけど,やっぱり、この人は「詩人だった」、と実感させられました。ロックはロックでも、サイケデリックロックのジャンルだそうで、すでに解散してしまったバンド、”ゆらゆら帝国”の「空洞です」をテーマ曲に用い,他2曲も彼らの音楽で、クラッシックはベートーベン、ラヴェルとサン・ソーンス。

日本映画界の“奇才”/“鬼才”と呼ばれる監督ですが、この映画が転機になっていると思います。オカルト的なホラー、ゴアー、スプラッターの映画から、一般観客にアピールした(と云ってもR15ですけど)。自主映画出身故の“Auteur”的な映画への姿勢が、「監督は絶対」で、従って“mise-en-scene”は、まさに監督のこだわりなのですね。だから配役も素晴らしい。変態、童貞役の西島隆弘。彼が演じるユウは、盗撮魔なのだけど非常に素直。笑顔が爽やかなくらいだ。女装も妖しいくらいに似合っている。彼以外のユウは考えられないくらい、ユウは西島で、西島がユウを生かしている。ヨーコ役満島ひかりは、体当たりの演技を絶賛されているが、私が驚いたのは教会幹部凄腕コイケ役の安藤サクラ。年齢不詳、何しろ堂々としている。監督曰く「役者は芝居をする」べきで、ただの美人美男はお呼びじゃない。渡部篤郎は、父親役。やっぱり、一番安定している。“頑張っている”演技を観るのとは又違う楽しみがある。私が好ましいと、思ったのは、ユウを囲む3人組:タカヒロ(尾上寛之),ユウジ(清水優)そして先輩(長岡佑)。ユウが接触する不良グループから、盗撮訓練、盗撮/AV映画時代を共に過ごし、退学させられたユウをずっと見守る3人組。彼らは無垢で人が良い、心優しく普通な感じ、が、ちょっと突飛な設定の長いストーリーの中で、“救い”、になっていると思う。ゲスト出演はすごい顔ぶれ、板尾創路(お笑い芸人、俳優)故大口公司(元テンプターズのドラマー、俳優)、岩松了(劇作家、演出家、映画監督、俳優)、倉本美津留(放送作家、作詞家、演出家)、堀部圭亮(俳優、タレント、放送作家)、大久保鷹(舞台俳優)、吹越満など。『14歳からの社会学』の著者として知られる社会学者、宮台真司が、教団の先生役で出ています。「信仰と,希望と,愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは,愛である」(新約聖書、コリント信徒ヘの手紙一第13章/愛の賛歌より)を、ヨーコ(満島ひかり)が暗唱する。愛は全て。愛が無ければ意味が無い。愛は私たち人間の、永遠の課題でしょう。


バンクーバー新報:2012年5月31日